―きっと誰だって自分の世界観を変えるキッカケになった言葉と言うのはあるんじゃないかな。
それは私にとって、ほんの短い言葉だった。文字にしてたった二十文字。ただ、それだけ。
けれど、それだけの言葉はまるで魔法のように私の全てを変えてくれた。そのキッカケになってくれた。
「ふーんふんふんふーん♪」
そんな風に鼻歌を歌いながら、私はベッドの上に寝転んで一冊の雑誌を見ていた。私の手の中にあるのは『月刊・魔界のデートコース 初級編』とタイトルがデカデカと描かれている旅行雑誌である。付き合い始めのカップルを対象に毎月、刊行されているこの本は、製本技術を手に入れた魔界の初期から根強い人気を誇っている一冊だ。口コミが少ない反面、確かな知識に裏打ちされた情報の多いこの本は今の私にとってはまさにバイブルと言える。
―ま、まぁ…参考にしてるだけで、デートなんかじゃないんだけどね。
脳裏で言い訳しながら、私はぺらぺらと頁を読み進めていく。既に何十回も読み直したその本は、私にとって既に目新しい情報は無い。しかし、『明日』の事を思い浮かべるだけで、何処か浮かれて準備出来ない私を落ち着かせるのには十分すぎる効果があった。
「えへへー…♪やっぱりこのお店も外せないなぁ……」
赤丸でチェックしているお店――この部屋の戸棚にも山ほど並ぶ、ぬいぐるみなどの可愛らしい小物を売る雑貨屋だ――を指でなぞりながら、ごろんと私は寝返りを打った。勿論、普段はこんなにはしたない真似はしない。何処か浮かれる気持ちを抑えることが出来ない今日だけの特別だ。
「なぁにを買わせてやろうかなー♪」
『アイツ』の顔を脳裏に浮かべるだけで、私の顔は自然とにやけそうになってしまう。明日、『一緒に出かける』相手であり、私の『知り合い』であるその色男は、私の脳裏で何処か困ったような、諦めたような顔をしていた。しかし、まるっきり拒んでいるわけではない。そう思うだけで私の心は何処か暖かくなった。
「まぁ…私は優しいからちょっとした小物くらいで勘弁してあげるけどね」
聞く相手もいない自分一人の部屋でそう独り言を呟く行為は、正直、自分でも痛いと思う。しかし、まるで遠足前の子供のような浮かれきった気持ちはそうでもしなければ抑えることが出来ない。今にも走り出してしまいそうな気持ちがふつふつと湧き上がっているのだから。
―コンコン
―…ん?あれ……?
そんな私の部屋をノックする音が聞こえた。独り言が五月蝿かったのかな、とも一瞬、思ったが喘ぎ声を完全にシャットアウトする魔王城の防音効果は普通の話し声程度では突破できない。しかし、悲しい事に『友人』と呼ばれる類の関係をまったく築いてこなかった私には、この部屋を知る人はおらず…自然、その相手はほぼ家族に限られることになる。
―でも…誰だろう?
ふと時計を見るが、もう夜中と言っても良い時間である。まだまだ日付が変わる程では無いにせよ、人の部屋を訪ねるような時間ではない。何か急用でもあるのか…それともまったく知らない人か…。そんな事を思いながら、私は本に栞を挟んでベッドから立ち上がった。瞬間、真正面の衣装棚に並ぶクマやウサギを模したふわもこのぬいぐるみと目が合う。私の数少ない『話し相手』であった彼らは、そのつぶらな瞳で知らない人だったらどうしようと尻込みしそうになっている私を励ましてくれているような気がする。
―うん。私、頑張るからね!
そうガッツポーズで応えながら、私はするすると扉の方へと向かっていく。人二人が十二分に暮らせるような大きな寝室、そしてリビングとキッチンを抜けて玄関へ。2LDKは優にある広々とした部屋を後ろに鍵を開けて、来訪者を迎えた。
「やっほー♪チョコちゃん元気ぃ?」
「お、お姉ちゃん……」
今が夜中だと言う事も知らないかのように明るく挨拶する来訪者――私の一つ上であり、エキドナであるお姉ちゃんに私の身体は固まった。しかし、彼女はそんな私を見越しているように、ニコニコと笑って反応を待っている。頭は私よりも遥かに良い筈なのに、何処か天然気味のお姉ちゃんのそんな様子を見ているうちに、私の頭も少しずつ冷えてきた。
「上がらせてもらって良いかしら〜?」
「う、うん。良いけど……って言うかチョコちゃんって呼ばないで」
私が反応できるようになったのを見計らってから投げかけられたお姉ちゃんの言葉に私は逆らうことが出来ない。何だかんだで押しの強い彼女の言葉を私が拒絶できたことなんて片手で数えるほどしかないのだ。それに今回は時間が時間であるので、外でお話と言う訳にもいかないし……それに私はお姉ちゃんに一つ『借り』がある。
「
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