第2部 (第3章)

 この世界はいつだって理不尽で、現実というわがままを押しつけてくる。
 だから、もし神様とかいう奴に会えたら、一つだけ聞きたいことがある。

「ねぇ神様。何故貴方は――」




「アリサちゃん、アリサちゃん」

 向かいのベッドに腰掛けた相手の言葉に、ふと考え込んでいたアリサは現実に引き戻された。
 ふかふかのベッドに派手すぎない観葉植物。全体的に落ち着いた内装で整えられた室内は、小さな町の宿屋とは思えないほどの品格だった。
 そんな部屋に向かいの女性と居るアリサの服装は純白のワンピース。さらに真っ白な髪を淡い青のリボンで結んでいて、落ち着いた部屋と不思議な一体感を醸し出している。が、髪をかきわけるようにして生えた角や背中の翼、先ほどからうねうねと動いている尻尾などが猛烈な違和感を発してもいた。

「な、なんですか?」

 現実に引き戻されたアリサは、イリアに向かってはたはたと手を振った。その仕草だけで彼女が慌てているのが分かる。
 そんなアリサの様子に、イリアは肩をすくめた。

「アリサちゃん、さっきからずっと上の空だったわよ………。なにか、気になることでもあるの?」

 村を抜け出して3ヶ月。当時は小さかった角や翼も今や立派なサキュバスのそれになった。
 その判断に後悔が無いと言えば嘘になる。が、当時はそれしか方法が無かったのも確かなのだ。そのことについてアリサはずいぶん早い段階で仕方がないと割り切っていた。
 しかし、悩みが無いわけではない。

「アルのことね………?」

 アリサが黙っていると、こちらの心の内を察したようにイリアが言った。それに反応してアリサがこくりと頷く。
 アル。アリサの幼馴染の少年にして、彼女に最も近い人間。それを彼女は故郷に置き去りにした。彼から贈られた万華鏡と共に。

「アリサちゃん。今からでも遅くはないのよ?」

 イリアが言う。だか、アリサが聞く耳を持たないことは彼女だって分かっている。それでも言葉を重ねる。

「あなたは無限の時間を手に入れたわ。でも、彼はそうじゃない。それは解るわよね?」

 少しきつい物言いになったか、とイリアは思ったが、これくらいがちょうどいいのだと思い直す。
 アリサはイリアの言葉にか、はたまた別の理由からか、すでに涙目だ。それでも健気に頷く。
 イリアは心を鬼にして言葉を続ける。

「アルが居なくなっちゃってもいいの?」

 この言葉の効果は、抜群だった。先ほどからずっと抱きしめていたふかふかの枕に、さらなる力が加わる。

「そんなのは………いや……です………」

 アリサはうつむく。さらりと髪が流れて、彼女の表情を覆い隠した。だが、イリアには見なくても彼女の表情が手に取るようにわかった。
 イリアはベッドに腰掛けたまま、長い脚を組みかえながら続ける。

「アルはきっとあなたを探しに来るわ。多分、1人でね。
 その時、誰が魔物からアルを守るの?」

 ぎり………。とアリサのベッドのシーツが握りしめられて軋む。だが、アリサは答えない。

「普通の魔物ならまだ撃退できるかもしれない。でも、例えばサキュバスなら?バフォメットなら?そして、ドラゴンなら?
 普通の人間が、ましてや1人で勝てる相手じゃないわ」
 
 アルは故郷の村で自警団をやっていた。夜の見回りもやっていたそうなので、当然、魔物や野生の獣との交戦経験もあるだろう。
 しかし、世の中には生半可な力ではどうにもならない相手もいる。
 イリアにはバフォメットとドラゴンの友人がいる。だから言えるが、彼女らの力はイリアと互角か、下手をすればそれ以上だ。もちろん彼女も人間などに負ける気はしない。
 そして、世の中には力だけではどうにもならないものもある。現実は、お話の中のそれのように優しくはないのだ。それをアリサに伝えることは、イリアにとって想像以上の苦行だった。

「それにね、アリサちゃん………。もし、もしもの話よ。彼の通った森に、マタンゴが居たらどうするの?
 ――あれは力じゃどうにもならないわよ」

 マタンゴ。その微細な胞子は、人間を内側から作りかえる。どんなに優れた戦士であろうと人間である以上、何の対策もせずに彼女らと闘えばその先にあるのは永劫の時を彼女らと交わり続ける未来だけだ。
 今のところ、どんな魔術を駆使してもマタンゴ化した人間を元に戻すことはできない。出来るのは、森ごと焼き払うことくらいだ。

「………方法なんて無かったじゃないですかぁ……。あのまま村にいれば、私、絶対にアルを……。彼だって、今の私を見てもあの笑顔を向けてくれるとは限らないんです………」

 うつむいたまま涙だけを流すアリサは、じっと堪えるように静かに泣き続ける。
 それを静かに見守ることしかできないイリアは、やっぱりこういう恋
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