宿敵との戦いで傷ついた竜は、自らの巣を目指す。
あちこちに傷を負い、紅にまみれた巨体は、ふらふらと揺れながら空を往く。
しかし、その恐ろしげな瞳に怒りの色は無い。眼底の真紅を映して染まる瞳には、ただ笑みの色があった。
宿敵との戦いで傷ついた剣士は、人の街を目指す。
鎧は砕け、兜は壊れ、炎に焦がれた剣士は、力なく歩みを進めて山道を歩く。
しかし、その幼げな顔に怒りの表情は無い。太陽の光を受けて輝きを放つ瞳には、ただ笑みの色があった。
――宿敵よ、しばし眠れ。
傷を癒し、英気を養い、再び闘気を燃やせしとき、我らはあいまみえよう。
気が熟せしときまで、しばし眠れ。我が宿敵よ。
◆◇◇◆ paradigm shift ◆◇◇◆
私は数年ぶりに目を覚ました。
かつて宿敵である剣士から受けた傷も全て癒え、身体のどこにも痛む場所は無い。
もぞりと体を起こす。
「……?」
違和感がある。視点が低いのだ。
本来ならば私の体は10メートルを下らない巨体であるはずだ。なのに、視点の高さはせいぜい2メートル弱。いや、もっと低いだろう。
不思議に思ってあたりを見回すも、以前と変わった場所はない。巣にしている洞窟の壁には私が集めた財宝が山と積まれているし、柔らかい毛皮や草を敷き詰めた寝心地の良い寝床もそのままだ。
だが、その全てが妙に大きい。洞窟も寝る前より大きくなっているように感じる。
違和感につられて、自分の手に視線を落とした。
「……何が起こった……?」
私の手は、まるで人間のそれのようになっていた。ごつごつとした鱗が生えており、完全に人間のものという訳ではないが、フォルムとしてはそれに近い。
続いて、足や腹、身体のあちこちを調べる。
驚いたことに、私は縮んでしまったようだ。いや、それだけではない。
私はどうやら以前とは全く別の姿になってしまったようだ。
太くて力強かった脚は見る影も無く、代わりにあるのはほっそりした曲線を持つ、白い柔肌の覗く薄い鱗に包まれた脚。
かつての巨体を浮かせた巨大な翼は、すっかり小さくなって背中に畳まれている。
一薙ぎするだけで城壁を玩具のように砕いた剛腕は、細身で華奢な女の細腕に。
蓄えた財宝の中から、宝石のあしらわれた鏡を取り出す。
それを覗きこむと、そこには薄紫の長い髪を持ち、眼底の血を映した真紅の瞳がこちらを見返していた。その顔は端正に整っており、薄い驚きが見て取れた。
本当に、私は竜では無くなってしまったらしい。
まったく、どういう事だろうか。こんな体では、宿敵である彼に笑われてしまう。
だが、今更足掻いたところでどうにかなるものでもないだろう。
私が目覚めた事に、彼は気づいただろうか。いや、きっと気付いただろう。
「今の内に、もてなしの準備を整えるとしようか」
◆◇◇◆ ◆◇◇◆
俺は重い鎧を着て、腰に長剣を吊って険しい山道を登っていた。
まったく、アイツはいつもこんなところに巣を作る。アイツは飛べるから良いだろうが、ひ弱な人間であるオレの事も考慮して欲しいものだ。
まあ、それも含めて俺とアイツはいつも戦ってきた。正直、もう何度目だか覚えていない。
無駄な思考を巡らせる間も足は止めず、ごつごつした岩場を踏みしめて歩く。
そろそろ、アイツのテリトリーだ。ペースを落とし、いつでも剣を抜けるような歩き方に変え、あたりを窺った。
今頃、アイツは俺が来たのを悟って巣で待ち構えているだろう。罠や不意打ちという姑息な手を使わない堂々とした奴ではあるが、用心するに越したことは無い。
「思えば、腐れ縁だよな……」
俺の今までの人生はほぼアイツとの戦いだったと言っていい。戦い始めた理由などもう覚えてはいないが、今までの戦いは後腐れの無い有意義なものだったと思う。
俺はアイツに鍛えてもらったようなものだ。
ざりっ。俺の足は洞窟の入り口を踏みしめた。もう、後戻りはできない。
わずかな逡巡の後、俺は最後の一歩を踏み出すのだった。
「ようこそ、クライン。私の巣へ」
低く腹に響くような重低音では無く、金属を打ち合わせたような澄んだ声は、俺の名を呼んだ。
その声の主を認めて、俺は抜きかけていた腰の剣を慌てて戻す。
俺の眼の前に居たのは、すらりとした細身の体を持つ女性だった。女性らしい曲線で形作られた体のラインは、見事な美を醸し出している。真っ白な絹のような肌を覗かせる腕や太ももは蠱惑的な魅力を放ち、だが全く媚びることのないその姿勢が清楚さを纏わせていた。
彼女の薄紫の長い髪は腰まで届き、そのベールに護られた双眸は、血を映して煉獄の赤色。やや憂いを帯びた無表情は、何故かこちらを誘惑しているようにも見える。
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