激動と停滞

 ここ数日で、戦局は大きく変化した。
 今まで、砦の存在や国の後ろ盾によって激化を免れてきたこのあたりの戦場も、一気に修羅場へと変わった。
 数年前に魔界に呑まれた、とある街から進攻する魔の軍勢が、積極的に戦闘を始めたためだ。その最初の標的に選ばれたのが、この街だった。
 僕の居た砦に常駐していた兵力は、規模を半分に減らしながらも街を死守。各地に要請した増援が到着する頃には既に壊滅していたと言っても過言ではない。
 砦を居城としていた領主はさっさと外へ逃げ、その力の無い住民だけが砦の裏の町に取り残された。幾度も繰り返される魔物による襲撃に、兵士たちは疲弊し、日に日にその数を減らしていった。
 教会より派遣された騎士、ミュウの行方は依然不明――というのが公式見解で、僕だけは知っているが、誰にも言えない。
 今日も魔物の攻勢を水際で食い止め、城壁の内側に引っ込む。僕の他数人いる兵士も皆、疲れた表情を隠せず、武具を引きずるようにエントランスのイスに座り込んでいる。
 各地から増援が送られてくるものの、一気に大人数は送れないため、ぎりぎりの攻防はまだまだ続きそうだ。

「いつまで、続くんだよ……」

「やってられない……もう楽になりてぇよ」

 ぼやく声も日に日に大きくなり、それに反比例してぼやく人間は減って行く。
 僕自身、毎日なんとか生き残っているような状況だ。
 だが、僕らが斃れれば、次に彼女らの手に掛かるのは、力を持たない街の住人達だ。
 決して、斃れる訳にはいかない――。
 僕は立ちあがった。今日は早めに休もう。明日もまた、戦場が待っているのだから。




 ミュウは暗い廊下を歩いていた。堅牢な石造りの廊下を、かつかつと足音を響かせて歩く。歩く度にその長い亜麻色の髪は揺れ、時折角に引っ掛かる。服装は勇者のそれでは無く、光沢のある黒い革の衣装だ。装飾の金属と黒の革で造られたそれは、大胆な露出を持つデザインで、足や手もなめらかな曲線を強調するようなデザインになっていた。
 それらにドレスのようなシルエットを与えるように、これだけは勇者時代と変わらないソードベルトで吊った、前の開いたスカートのようなクロースがあしらわれている。剣帯によって吊られる剣は、教会より下賜された、十字の柄を持つ銀製の長剣ではなく、左右非対称の攻撃的デザインの柄を持つ、黒を基調とした細身の長剣だ。
 そんな装備に身を固めた今の私は、正しく悪魔としての外見を持っているのだろう。淫靡な夜の悪魔、サキュバスとしてのいでたちを。
 勇者時代の実直なイメージとはかけ離れ、妖艶や狂美的とでも表現するのが適切なその姿は、実を言うと自分でも恥ずかしかった。
 だが、敬愛するリリム、シルヴィアに褒められてからは特に気にならなくなったのも事実だ。後はフェンの評価次第だろうか、と思う。
 今は、捕虜の部屋を覗きに行った帰りだ。だが、中には場所も考えず情事に耽る淫魔などの魔物と、両手足を縛られ抵抗すらままならない兵士たちの姿があるだけだった。
 妙に扉の造りが堅牢なのは、恐らく声を外に漏らさぬようにという配慮なのだろう。自らも魔に染まっておいてなんだが、恐怖を感じる。
 考えに耽っていると、廊下の突き当たりまで歩みを進めてしまった。上層に位置する廊下なので、両脇に壁は無く、代わりに柱と手すりがある。柱と柱の間はそのまま開けており、手すりに身を預ければ一面の景色を堪能できる。
 風が吹き抜け、私の髪を攫う。風と戯れる髪を手で押さえながら、一面の景色を拝む。
 この景色を作りだした者が誰であれ、その者は良い仕事をしたと思う。沈みかけの日の赤に染まる、魔都の歪な建物の群れは、背後の湖を隠すような配置で目に飛び込む。東に位置する深い森からは鳥が集団で飛び立ち、黒いシルエットで以て空を彩る。
 綺麗だ。以前までの私なら、こんなことは思わなかっただろう。だが、堕ちて、堕して、そう思えるようになった。
 手を伸ばせば届きそうな、まるで奇抜な絵画のような、綺麗な世界に、私は実際に手を伸ばした。手すりを乗り越え、手を伸ばす。
 だが、黒い革の手袋に覆われた、私の指先がその世界に届く前に、私の体が重力に囚われた。体を前に傾けていた私は、頭から地面へと墜ちていく。
 人であれば、生還は難しかったかもしれない。私は空中で身を捻って体勢を立て直し、畳んでいた背中の翼を展開した。漆黒を固めたような翼が風を孕み、力強く下へ打ち下ろす。
 手でも足でも無い、四肢に含まれぬ新たな器官を得て、最初はかなり戸惑った。だが今は、文字通り手足の如く使いこなすことができる。
 十分な加速を得て、羽ばたきを止める。水平に大きく広げ、滑空して速度を稼ぐ。
 目指すは自分の部屋。城の大分奥まったところに位置するその部屋は、あの時
[3]次へ
ページ移動[1 2 3 4 5 6 7]
[7]TOP [9]目次
[0]投票 [*]感想[#]メール登録
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33