何気ない日常の1コマ(1)

かちん。細い指でつままれた、竜を模した駒がボードの上に置かれる。
 ボードは幾つかのマス目に区切られており、その上には白と黒の無数の駒が乗っていた。そして、ボードの脇には取られて退場となった駒もいくつか。駒の分布を見るに、白が圧しているようだ。
 その盤が置かれた小さな机を挟んで、向かい合うのは2人の女性。
 白色の、主に魔物を模した駒を動かすのは腰まで届く藍色の髪を持つドラゴン、エリアス。強靭な鱗や鋭い爪に覆われた四肢は見る者に恐れを抱かせるには十分すぎるが、その瞳は友愛の光を湛え、今日も澄んでいる。
 対して、主に人間を模した黒い駒を動かすのはやや短めな薄い金髪のマタンゴ。その黒い瞳は険しい目で盤を睨みつけている。

「な、なあエリアス。あたしみたいな初心者に本気出しすぎじゃないか?」

 ぽつりとマタンゴの女性が言う。身に纏うものは学者然とした白衣だが、それでも隠しきれない胸などの部位のおかげで、それさえも艶めかしく見える。
 それに対して、エリアスはにっこりと微笑んだ。それは、まさに天使の微笑みと言えるレベルの完璧な微笑で、見る者に安心を抱かせるに十分だった。だが、その言葉はあっさりとその表情を裏切る。

「いえ、本気など出していませんよ。私が本気だったらベル、あなたは25手前で王手です」

 ベルと呼ばれたマタンゴは、嘘ぉ、と叫びながら頭を抱える。その仕草で、微かに胞子が舞った。
 そして、ベルが再び長考に耽りだしたので、エリアスは改めて自分の居る部屋の中を眺める。
 そこは研究室だった。一面赤いレンガ造りのやや広めの部屋。中央には大きめの机が置かれ、びっしりと文字の書き込まれた書類や羽根ペン、謎の液体が満ちた容器などが置かれている。壁には本棚が置かれ、読み切るのに相当の時間がかかりそうな分厚い本が大量に納められている。
 それだけならまだましなのだが、そこらの床や壁に大量の魔法陣が描かれ、中には明らかに妖しい光を放っているものまである。たとえ魔術が発動したとてエリアスは平気だろうが、果たしてベルは無事なのだろうか。
 
「よっし、ここだ」

 部屋を観察している間に、ベルが駒を進めた。だが、その場所は――

「……そこだと3手後に王手がかかりますよ?」

「どっちに?」

「あなたに」

「…………」

 しぶしぶ駒を戻すベル。

「ベル。あなた何歳ですか?今までこのような遊びはしたことがない?」

 ベルの犯したミスはそれくらい酷い。ルールを知っていれば王を護る駒を敵陣に突撃させるようなことはあまりしないと思うのだが。

「ふっ、乙女の年齢を簡単に聞くもんじゃねーぜ」

「私だって乙女です。ちなみに私は109歳です」

「三ケタかよ!」

 ぼん。ベルが叫んだ瞬間、部屋の中央に置いてあった容器の液体がいきなり爆ぜた。青色の煙が上がる。
 だが、2人とも微動だにしない。この程度の異変に気を取られるようでは、この部屋に入る資格などない。

「………私は56歳」

 ベルが答える。彼女の外見は魔物化した23歳で止まっているので、その年齢を推し量ることはできない。
 だが、ほんのり頬を染めて視線をずらす彼女は精神の方も外見と同じくらいだとエリアスは思う。
 
「こういうゲームはやったことないな。ずっと研究ばっかりしてたからな」

 彼女は魔物化した理由が非常に特異で、マタンゴの治療法を見つける際、「自分がマタンゴになれば研究楽じゃん?」という合理的(?)な理論で自ら研究用の胞子を吸引したらしい。つまり、襲われた訳ではなく、自分から魔物になったのである。
 結果、当然のごとく人間の町を追われ、この街に流れ着いた訳だが、賢者としてのベルは超一流である。変人としても超一流だが、この街に住んでいる者は大抵が変人なので誰も気にしていない。

「………なんというか、ご愁傷様です」

 エリアスはベルを憐みのこもった目で見つめる。

「そんな目で見るなぁ!!」

 涙目で抗議された。

「……あ、そう言えばエリアス。買ってきてほしいモノがあるんだが」

 喋りながらも考えていたらしく、駒を進めつつベルが言う。かちり、と音が鳴った。
 ベルが動かしたのとほぼ同時に自分の駒を進め、エリアスが続きを促した。

「アルラウネの蜜と、ヤキトリと、あと男」

「………念のために聞いておきますが、何のために?」

「食べたい」

「…………」

「あー、男欲しいなー男。手を繋いで噴水広場を歩きてー」

 かちり。硬い木で造られた盤と、黒い石で造られた駒が触れ合って、硬質な音が鳴った。再びベルが駒を進めた音だ。すかさずエリアスも駒を進める。やはり同じような音を立て、少し前にベルが進めた駒を取った。黒い駒が1つ、盤上から退場する。
 それを盤の横、すで
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