触手の森のアリス(上)

 魔界の奥地、特に魔力の強い土地に広がる広大な森。
 そこはいつでも薄暗く、そのくせ不気味な光を纏うかのような、形も大きさも不揃いの木々が生い茂る森。
 それは、生あるものを拒絶するかのような閨と。見る者を惹きつける、妖しい光の同居する場所だった。
 ある者はそれを見て言うだろう。それは禁制の聖域だと。
 またある者は、こう言うだろう。それは人狩りの森だと。
 そして、だからこそ。
 そこは絶えず人の好奇心をかりたてつつ、手つかずの森として残るのだろうか。
 それとも。
 それを守る何者かが、人の支配を拒むのだろうか………




 森の中心部。禍々しい外見に反して、やわらかな日差しの差し込む、木々のまばらな場所。
 やがて濁流へと変わるせせらぎが木を避けるようにして流れ、その中を成長すれば人をも襲う凶暴な魚へと変わる稚魚たちが群れをなして泳ぐ。
 人間たちは、この森の中にこのような場所があるなど、思いもしないのだろう。そう思うと、彼女は少し可笑しくなり、小さく微笑む。
 地面から生えた、ぬらぬらとした表面を持つ植物のツタのような物。彼女はそれに体を絡めとられていた。それらは自ら意思を持って動き、ぐるぐると彼女を包み込んでいる。

「あぅ……くすぐったいよぅ」

 彼女がそうつぶやきながら、小さく体を震わせると、それに気が付いたかのように触手は動くのをやめた。
 そう、触手だ。ここは触手の森。踏みこんだ者はたとえ魔物であろうと欲情した触手に襲われ、犯される魔性の森。
 その最深部に、小さな少女たった一人。無論、本来なら辿りつけるはずもない。そして、今も襲われぬはずがない。なぜなら、彼女はすでに触手に捕まっているのだから。本来ならばとっくに穴という穴に触手を突っ込まれてもおかしくない状況である。
 だが、少女は無邪気に笑う。そして、触手はそれを優しく抱く。まるで宝物でも扱うかのように。

「……ふぅ。そろそろおきるですよ」

 少女は揺り籠の中で伸びをし、おおきくあくびをした。すると、またも触手は彼女の意思を汲んだようにするすると彼女を解放する。少女を地面に下ろす際も、落ちたりしないように優しく下ろしており、そこにも少女に対する気遣いが見え隠れする。
 するりと地面に下ろされた少女は、その白い足を地面に着ける。そこにさわやかな風が駆け抜け、彼女の綺麗な黄金の髪を静かになびかせる。髪と同時に風にそよぐ白のワンピースのようなドレスは、あちこちにスリットや切り込みが入っており、彼女に対して大きめであるにも関わらず動きを阻害しない。その切り込みは、彼女の小さな翼や尻尾を外に出すためでもある。
 その姿を一言で表現するなら、それは花。時に太陽に例えられ、時に百獣を従える王者に例えられる、野生の花。
 地面に降り立った少女の周りを、先ほどまで彼女をくるんでいた触手たちがうねうねと動く。小さな少女を心配しているのだろうか。
 そんな触手を、少女は小さな両手で抱きしめる。

「ルシ。アリスなら大丈夫。少しでかけるだけだから」

 ルシ、というのは触手の名前か。恐らく、今地面からまとまって生えている幾本の触手全てがその“ルシ”なのだろう。
 ルシは触手の先端で軽くアリスの頭を撫でる。

「んふふぅー」

 アリスは大きな目を細めて笑い、ルシを放す。そのままとてとてとはだしで歩き、振り向いて手を振りながら森の中へ消えていった。
 ぽつりと、元の広場に取り残されるルシ。ルシはしばらくアリスの消えていった森を見つめるように触手をそちらに向けていたが、その後するすると根元から地面に潜って行った。




「〜〜〜♪」

 鼻歌を歌いながら、アリスは飛び跳ねるようにして歩く。その度に、その髪やリボンが揺れ、翼もはたはたと動く。
 広場から少し離れた森の中。そこはすでにあの光あふれる楽園のような場所ではなかった。天を覆い隠すように異形の植物が生い茂り、太陽の光を遮る。そんな薄暗い森の中には、毒々しい色の花が天井に咲き、妖しい光を放つ植物が足元に生えている、魔界の光景だった。
 しかし、アリスは少しも怯えた様子を見せない。たとえ誇り高き騎士だろうと幾許かの不安を抱えるだろうこの景色に、少女は何も感じないかのような歩調で進んでいく。
 それは、文字通りこの森が彼女の庭だからだろう。
 本来なら敵対するはずの触手に護られ、異形の森を行く幼き少女。支配者たる触手の庇護下にある少女は、この森の全てが味方なのだ。

「あ、みっけ」

 広場から5分ほど。すっかり暗くなり、道などとうに消えた森の中。根が飛び出し、枝が突き出た道なき道で、彼女は唐突に立ち止まった。
 アリスはまっすぐに上を見上げる。そこには、太い幹を持つ大きな樹があり、鮮やかな青色をした果実がたくさん実って
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