第二話「 血、疼く 」

――バタンッ。

「はぁ、はっ、はあッ」

私は店主と別れた後、店内をふらつく足で駆け、階段を上り、廊下を走り、勢い良く扉を開け、そして閉めた。乱暴に開閉を行っては傷みが来てしまう事も、この客室を提供してくれた店主にも迷惑が掛かってしまう事も頭では分かっている。だが、今は何もかもが空回りしている。思考も、体調も、呼吸も、何もかも。
普段ならばぞんざいに扱う筈のない愛剣達も今は煩わしいものにしか感じられず、剣帯を強引に外し、剣と共に乱雑に壁際へと放り投げる。抗議を上げる様に金属音が響くがそちらへ目をやる余裕はなく、身体を引きずるようにしてベッドへと近付き、自らの重みに耐えかねたかの如くシーツの上へ倒れ込んだ。

「ぐ、ふぅ……んん、はああぁ」

肺腑から吐き出される息は熱く、甘い。恐らく鏡を見れば私の顔は林檎の様に紅く染め上がっている事だろう。店主もそれ故に心配していたのだろうし、世間一般から見て私の状態は所謂『風邪』と言われる病気を発症したのかと思われるだろう。だが、それは全くもって違うのだ。何故なら――

――私は、ダンピールだから、だ。

ダンピール。『魔物』のヴァンパイアと『人間』の間にごく稀に産まれる『半人半魔』の魔物。ヴァンパイアの身体能力と人間の価値観を併せ持つ、ヴァンパイアの天敵。そしてヴァンパイアの血を引いているからこそ、絶対に避けられぬ衝動が私にはある。男性の血を思うがままに啜りたいという『吸血衝動』だ。

「う、ぐうぅぅ、ふぅ、ふうっ」

胸奥で渦巻く衝動を吐き出すように、何度も何度も息を吐く。そう度々起こる事ではないとはいえ、私の身に流れる血による根源的な欲求であるから湧き上がるものは湧き上がる。その都度私は衝動を上手く抑え込み、血を吸う事なくやり過ごしてきた。
だが、今回の吸血衝動はいつになく激しいものだ。そもそも、私は血を見て衝動が掻き立てられた事は幼少期の頃からなかった。突発的に湧き上がる事はあっても、人間が美味しそうなものを見て涎を垂らすか唾を飲み込むといった風に、血を見て『血を吸いたい』など欠片も思わなかったのである。

「なの、にぃ……はぁ、はぁ、何でぇ……」

それなのに、先程の私は店主の血を見ただけで頭の中が沸騰し、目の前が真っ赤になった。剣を交わしている間は何ともなかったが、冷静になって血を見た瞬間、『店主の血を啜りたい』と心の底から思ってしまったのだ。一文字に走る傷口から小さな雫となって溢れ出し、首筋に沿って緩やかに垂れ落ちる光景から一時たりとも目が離せなかった。あの滴る紅い命の雫を舌で受け止め、その紅い軌跡を辿るように肌を舐め上げ、傷口へと接吻し、そして牙を突き立てて更に甘露を溢れさせたい。店主が暴れ抵抗するのならその四肢を押さえ付け、無理矢理にでも私が満足するまで味わいたい。
そこまで考えた所で私は我に返った。そして一刻も早く店主の前から離れなければならぬと、言葉少なにあの場から逃げ出したのだ。そう、逃げ出した。あのまま店主へと襲い掛かってしまうのではないかという危惧の中に僅かでも期待を抱いている私の思考と、私が魔物だと知られてしまう事で店主が嫌悪を露わにして刃を向けてくる恐怖から。

「店主、店主ぅ……っ!」

店主の――ソイシ・ケンジの姿が脳裏に浮かぶ。
ジパング人特有の黒い髪に黒い瞳。髪は目に掛からぬ程度に短く切られ、爽やかな印象を人に与えるものだ。身長は私よりも少し高いくらいで、男としては少し物足りない部類に入るのだろうが、何故だかその高さが一番しっくりくるのは入店当初から思っていた事だ。その身を包む衣服は大抵はインディゴの……店主が言うに『ジンベエ』とかいう衣服を纏っている。肌は適度に焼けていかにも健康的であり、襟口から覗く首筋や胸板、袖口より出る腕は筋骨隆々とまでは言えないが逞しいものだった。しかし、その逞しさに反して顔付きは穏やかで、他者に侮られはしても嫌悪を抱かれる事はまずないと言えるだろう。表情も豊かで見ていて飽きがなく、性質も優しいが厳しい所は厳しい。そして何より『研ぐ』事に関しての想いは並々ならぬものがある。いつか研いでいる時の店主の姿をこっそり覗き見た事があるのだが、その際の眼差しの真剣さは普段の店主とは一線を画すもので、私の目を惹き、心の中へ入り込んできた事を覚えている。

――ドクンッ。

「か、はあぁ……んんぅ、うあ、ァ……」

震える手でシーツへと爪を立て、そのまま鷲掴む。内から溢れ出ようとする衝動を抑える為に、他の物へと代償を求めるかの如く。背中を丸め、身体を捩じり、努めて規則的に息を吐いて沈静を試みる。しかし店主をイメージするだけで心臓は跳ね上がり、より一層の激情を滾々と湧き出させてしまう。どうしても血が、血が欲しいと己が本能が理性に訴え掛けてく
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