――一心に、ただ一心に。
自分の鼓膜を震わす、砥石に刃を滑らせる音。指先に加える力加減、押して引く際の力の抜き具合・速度。その全てに心を傾け、刃にかつての煌めきと鋭さを……出来得るならばその時以上のものへと仕上げていく。砥石が乾燥し切る前に左手を水桶に浸し、その手を砥石の上へかざして適度に水分を保持させ、研ぎを再開させる。ある程度研ぎ終えたら前の砥石よりも目の細かい砥石へと変え、また研ぎ始める。
この地味で単調で精神力が必要な作業だが、俺――麻石(そいし)ケンジは『研ぐ』事が昔から大好きだった。麻石家はジパングの剣術の名家が本家らしいのだが、御先祖様が刀剣を研磨する方向に目覚めたらしく本家から離れ、家を新たに作ったそうだ。
それが『麻石』、縦に並べれば『磨』の字になる我が家の由来。
そんな姓が名前の頭に付いているからだろうか、俺は『剣を取る』という男なら大半は理解出来る筈の夢を抱かず、研ぎ師であった祖父が刃を研いでいる姿をよく見ていた。野菜や肉が切れにくくなっていた包丁が祖父が研げばその切れ味を取り戻す。幼心にはそれこそ魔法の様だと思ったものだ。時が経っても好きな事は変わらず、15の時に祖父へ弟子入りして10年間、俺は研ぎ続けている。
そして3年前、祖父の他界に伴いこの研ぎ屋『アヤメ』を祖父から引き継いだのだった。
「……これで良し、綺麗になったな」
刃を乾いた布巾で拭き取り、しっかりと仕舞い終えてから窓の外を見てみれば陽が真上に差し掛かろうとしていた。朝から複数の刀剣を研ぎ始めていたのだが、もう昼になるとは。相変わらず研いでいると時間の経過を忘れてしまう。
それだけ集中出来ていると喜ぶべきなのだろうが、気付いた時に襲い掛かる空腹感は如何ともしがたい。胃を急激に締め付けられ、内側の粘膜に塩水でも掛けられているかの様なあの感覚は慣れないものなのである。さてそれでは朝食兼昼食を、と立ち上がった瞬間だった。
――チリリン、リリン……。
「お客さんか」
研ぎ屋『アヤメ』の入口扉には風鈴に似たものが設置してあり、入店の際に涼やかな音が鳴る様になっている。だが四季問わずその音色なため、風情があるのは夏期だけであるが。
益体もない事を考えながら作業場とカウンターを遮る暖簾を潜ると――
「失礼する、私の名前はアイリス・トルヴァダウ。君が店主で間違いないか?」
目の前には今まで見た事もない美貌の持ち主が、そこに居た。
双眸は紅味のある琥珀を思わせる色合いで、思わず覗き込んでしまいたいと思ってしまう。鍔広の黒帽子から覗く長髪は収穫期の小麦畑を連想させる黄金色で、その髪を一つに結い、背中へと垂らしている。冒険者なのか実用性と機能性のある黒い服装だが、腹部を隠す布地はなく、そこから覗くしなやかながら鍛えられているであろうラインと臍が眩しい。下肢を覆う布地も少ないために見える太腿も俊敏性のある筋肉に覆われている事が窺えるが、女性らしい丸みも失っておらず健康的な艶を見せていた。何よりも雰囲気が――そう、『研ぎ澄まされていた』。勿論悪い意味ではなく良い意味で。まるでジパングの名刀を見ている様な、もしくは一流の研ぎ師の仕事を間近で見ている様な。
故に美貌とは関係なしに思ったのだ――綺麗だ、と。
「ッ、ああ……悪い、少し惚けてた。いらっしゃい、俺が店主の麻石ケンジだ……と言っても俺以外店員は居ないんだがな」
気を取り直して自己紹介をして、最後の言葉と共に肩を竦めて見せる。
研ぎ師なんて職業に爆発的な人気などある筈がなく、弟子も店員も居ない。かと言ってこの店に閑古鳥が鳴いているのかと言えば否である。人が居れば刃物は扱うもの、それに愛着や拘りがあるのならば専門職に任せる人も居るのである。
「さて、トルヴァダウさんは――」
「アイリスで良い。その呼び方は何だか擽ったい」
「――じゃあアイリスで。俺の方もケンジで構わないから」
「いや、店主は店主だろう?」
「別にケンジでも……ま、良いか。それで、今日はどんな用でココに?」
「剣を三振り、研いで貰いたい」
そう言って彼女がカウンターの机に置いたのは一振りの細剣と二振りの短剣だった。
細剣の方はレイピアに形状が酷似している事から、残りの二振りの短剣はパリーイング・ダガー――マインゴーシュだろうか?レイピアの方は刺突用の剣と誤解されがちだが、ちゃんと切る事が出来る。片刃と両刃の場合があるが、これは両刃のようだ。マインゴーシュはレイピアを持つ手とは逆の方に持つ、相手の攻撃を受け流す為の柄に籠状のガードが付いている両刃の短剣だ。勿論、受け流す為の短剣とはいえ刀剣であるので斬れないという事はない。
「触れて見ても、大丈夫か?」
「……ほう、何故確認を取るんだ?」
「いや、剣は大切な相棒だろう。断りなく勝
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