「(力が…安定しない…まったく困ったもんだね)」
闇の中で"彼女"は一人胸中で毒づく。
闇を纏い、夜を支配するはずの彼女は、今は闇の中で己の存在を固定することが精一杯だった。
気を抜けば、纏う闇に取り込まれ、その存在自体が闇へ消えてしまいそうな程、儚く朧げな状態。
焦ってはいけない、そう思えば思うほどに心の中に焦りは生まれる。
焦りの原因はわかっていた。
闇の中で見えた一筋の光に、彼女の心は撃ち抜かれていたから。
その思いはやがて彼女の口から言葉として、そして彼女の意思として紡がれる。
「…会いたい。彼に…」
小さく呟いた言葉は、波紋の様に闇の中へと広がっていく。
その波紋はやがて彼女の強い意志を纏い、闇を従える。
不完全、されど今の彼女の胸中を満たす思いはもはや止めること叶わぬ程強く焦がれていた。
にぃっと、闇の中で彼女は笑みを浮かべる。
そして、誰に言うわけでもなく、一人呟く。
「にひひ…さぁて、往こうかね」
…………………………………………
「お疲れ様です、お先失礼しまーす…」
時刻は21時を過ぎた頃、ようやくその日の業務に一区切りが付き、帰路に着く。
今日は早めに帰れる、そう思うのは彼がもうこの環境に毒されてしまったからか。
いつまでも明かりの消えないビルを背に、重く感じる身体に鞭打ちながら歩みを進める。
帰路の途中、コンビニに寄ると、自然と足は酒類の販売コーナーへと向かう。
「(1本…いや、2本でいいか)」
350mlのビールを2本手に、レジへと向かう。
普段からそんなに飲むわけではない彼だが、1本では"足りない"と直感が示す。
愛想のない店員に特段苛つくこともなく、淡々と金を払い、モノを受け取る。
ありがとうございました、の原型も無い、感情の全くこもっていない礼を受け取りながら店を出る。
日に日に暑さを増していく今、早く帰らなければビールが温くなる。
独り身のつまらない、ルーチンワークの様な毎日の中で、唯一の癒やしの時間を無駄にしないよう、
薄いビニール袋に入ったビールができるだけ揺れないように、彼は駆け足で自宅へと向かった。
カンカンカンと鳴り響く、安い作りの階段を登り、自宅のドアに鍵を差し込み回す。
「(……あれ?閉め忘れか?)」
今朝家を出る時は確か鍵を閉めたはずだが、今一はっきりと記憶にない。
泥棒にでも入られていたら…と彼は一瞬思ったが、そもそも盗む価値があるものなど彼の家にはなく、それに気がつくと胸中で苦笑する。
もう一度解錠側へ回すも手応えはなく、やはり閉め忘れだと思うことにした。
さっさとシャワーでも浴びて、ビールを飲んだら寝てしまおう。
そう思い直すと、ドアに手をかけ開く。
その瞬間、一瞬だけ世界が揺らぐ、そんな感覚を味わう。
しかしそれは、彼自身が知覚するよりも早く霧散し、気が付かぬまま玄関を跨ぐ。
「おや、おかえり龍樹。今日はちょいと遅かったじゃないか」
「………あぁごめん、連絡してなかったな。ただいま、神楽」
「ふふ、何も謝ることでもないさ。ご飯は?」
「いや、食べてない。…酒しか買ってないな」
「んふふ、あたしの分もちゃんと買ってきてるじゃないか、偉い偉い」
「…汗臭いの、手に移るぞ」
ドアを開けた彼を迎えてくれたのは、薄めの浴衣に身を包んだ銀髪の女性。
白地に淡いピンクの花々がうっすらと描かれた、素朴ながらも人を引きつける浴衣だった。
しかし、纏うその浴衣は両肩を晒し、今にも脱げそうで脱げないギリギリのところで留めている。
胸元も大きく開き、零れ落ちそうな豊満で柔らかな胸が、その存在感を強く主張していた。
一瞬何かの違和感を感じた彼――龍樹だが、何事も無かったかのように彼女――神楽と話す。
「んふふ、今日も一日お疲れさん。すぐにご飯準備するから待ってな」
「あぁ、お願い」
「ほらほら、さっさとスーツ脱いで掛けときな」
「はいはい」
1Kの小さな部屋だからか、キッチンを抜けても晩飯のいい匂いが彼の鼻孔をくすぐる。
お気に入りのクッションにボフンと座り込むと、彼女が晩飯をいそいそと並べていく。
ご飯、焼き魚に味噌汁、ひじきの煮物に豆腐。
素朴ながらもしっかりとした純和風な晩御飯に、一瞬また違和感が浮かぶもすぐに消え去る。
「うまそうだな…」
「当たり前だろ?誰が作ったと思ってるんだい?」
「はは、ごめんごめん。…いただきます」
「はい、召し上がれ」
いつの間にか持ってきてくれた、キンキンに冷えたグラスに、トクトクとビールが注がれる。
お返しにと、彼女が持ってきたもう1つのグラスに、同じようにビールを注ぎ返せば準備は万端。
「「乾杯」」
冷えたビールが、疲れた身体に染み渡っていくのを感じた。
そして隣で嬉しそうに同じようにビールを飲み、笑みを浮かべる彼女
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