目覚めた死者と埋葬者

山々が紅く色づく刻、ふらふらと覚束ない足取りで山道を歩く女性がいた。
薄い水色の病衣を纏う彼女の口周りは血を拭った跡が、袖口は彼女の血で赤く染まっていた。

「お願い……、もう少しだけでいいから……耐えて……」

どこか懇願するその言葉は、神への願いではなく、己へ向けて。
決して急勾配ではない山道をふらつきながらも、だが明確な目的を持って歩いていた。
ここで倒れるわけにはいかない、と一歩一歩を持てる限りの力で踏み出しながら。
やがて彼女の目的は果たされる。辿り着いた場所は山道の半ば、そこから少し離れた切り立った崖の上。
彼女がその短い一生を過ごした小さな街が、そして遥か裾野に広がる平野を眼下に迎える天然の展望台。
崖脇に1本だけ生えた木に縋るように立ちながら、彼女は全てが夕焼け色に染まった幻想的な風景に見入っていた。

「あぁ………綺麗ね…とても、綺麗……」

『綺麗』という言葉しか紡げない己の語彙の少なさを恨んだ。
せめて後世に残せるような、気の利いた言葉の一つでも吐ければな、と自嘲する。
だが、己の望みは叶った。病室の窓から何度も見上げていた崖。
最期を迎えるならばここへ、そう思っていたのだから。
気の緩みは、最期の最期まで病魔に耐えていた彼女の僅かな生命の欠片を燃やし尽くす。

「ぅ…うぐっ……ゴフッ!ゲホッ!うぁ…ゲボ…がっ…ぁ…」

もはや施しようも無い程の多量の血が、口を抑えた掌から溢れだし大地を赤く染めていく。
ゆっくりと彼女の膝は沈み、やがて身体は大地に吸い込まれるように横たわる。
荒い呼吸を繰り返す度に溢れ出る鮮血と、少しずつ歪んでいく視界。その中で彼女はそっと心の中で呟く。

「(あぁ……もっと…色々な場所へ行きたかったな……素敵な恋も…したかっ…た……な…)」

荒かった呼吸は、徐々にか細くなっていく。
やがて残り僅かであった彼女の生命の欠片は燃え尽きる。
命の灯火を失い、骸と化したその身体は二度と動くことはない。
治る見込みの無い病に伏せ、それでも懸命に生きた彼女の物語は、こうして終わりを迎えた。


− ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ −


彼の家系は代々埋葬者として街の多く者を見送っていった。
特段、信仰深かったわけでもない。だが、他にやる者がいなかった。
気がつけば、彼ら以外に埋葬者となる者はいなくなっていた。
彼----名をエルマー=プリチャードという----もまた、幼き頃より、兄、父、祖父と共に死者を埋葬していた。
エルマーが初めて死者と向き合ったのは6歳の時だった。
相手は天寿を全うした老人で、安らかな顔で眠りについていた。
彼を、己が掘った穴へ埋葬する時、大粒の涙を流しながら彼を見送ったことを覚えている。
今まで一度も関わることもなかった、見知らぬ老人なのに。
不思議と死者と向き合うことに嫌悪感はなかった。
ただただ心の内に止めどなく悲しみが湧いて、涙が止まらなかった。
そんな彼の頭を、祖父は優しく撫でてくれた。
そして祖父が呟いた、その気持をいつまでも忘れるな、という言葉は今も深く心に刻まれている。

エルマーら埋葬者が行うのは、死者が眠る墓穴を、そして墓標を建てること。
全ては死者に、安らかな眠りについてもらうため。ただそれだけのためだった。
病の内に亡くなった者、偶発的な事故に巻き込まれ命を失った者、自ら命を断った者。
全ての死者が、せめて死後は安らかに眠れるよう…。

彼が17歳を迎えるころ、常に死者と向き合う生活を続けていった彼には、
いつしか訪れた死を、訪れる死を感じ取るようになっていた。
初めてそれに気がついたのは、街中を歩いていた時だった。
ふと何かに惹かれるように向かった先は、見知らぬ相手の家。
何故惹かれたのかも分からぬ内にその場を後にし自宅へと戻ったが、その理由を後々知ることになった。
後日、埋葬の依頼を受け赴いた先は、先日訳も分からず辿り着いた家だった。
それから幾度となく同じ体験をし、いつしか己が持つモノに気がついた。

それに気がついてからは葛藤に苛まされる日々だった。
死を感じ取っても、己にできることなど何も無い。
死を迎えた者が、死を迎える者が家族に看取られるまでは、彼らの役割などないのだから。
いつしか街を歩くことも避けるようになった。歩けば次に死を迎える者がわかってしまうから。
だが、悩みぬいたところで彼は、いや彼の家系に生まれしものは皆生まれながらに埋葬者なのだ。
死者が安らかな眠りにつけるよう、埋葬することが使命なのだ。
己の使命を理解している彼が、それに目を背けることなど出来るはずがなかった。
悩み、だが己の持つ使命と向き合いながらも、エルマーは一つの結論を導いた。
彼が導き出し
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