冷たい何かが私の身体に落ちてくる。無数の針が身体中に突き刺さる感覚にそれが氷雨だとようやく気付いた。
私は何をしているの?
固い感触に、私は横たわっているのだと把握し、視界に入る倒れた馬とひっくり返った荷馬車から、私が崖から落ちたのだと理解した。
そして、川のように流れていく血を見て、私は助からないということも。
いやだ 死にたくない
だって、あの人が あの人が帰って来るのに
「あ、う………。」
助けを呼ぼうにも声が出ない。そもそも息ができない。
手や足は動くが、それで何ができるというわけでもない。無様に上げたり下げたりするのが関の山だ。
私は助からない。
「あんた、そんなところで寝てたら風邪ひくよ?」
暗闇で解らなかったが、私は一人で死んでいくわけではなかったようだ。
かろうじて動く首で視線を変えると、私を見下ろす影がいた。
<ガロロロゥ〜、ドガァアアアア〜〜〜ン!!
一瞬の雷光が影を照らし出す。
青と緑の羽、鋭い鉤爪、細い足、細い体、鋭い眼光。
それが人間でないことは朦朧とした頭でも理解できた。
ああ、そんな。 神さまどうか
生きたまま 食われるなんて
どうか死ぬまで まって
神さまの酷い仕打ちに、私は逆に死を望みだした。どうせ死ぬのなら、死に方ぐらい選びたい。
しかし、異形の者は、私に近づくとかがみ込み、物珍しいものでも見るかのように鋭い眼光を私の瞳に注ぎ込む。
「あんた、死にたいの?」
死にたくなんかない。死にたくなんか。
でも…
「死なないようにしてあげようか?」
えっ?
「う〜ん?違うか?死んじゃうけど、死んでないような? 死んでから、生きちゃうような??」
なんでもいい
彼にもう一度会えるなら 彼に抱きしめてもらえるなら
それが それだけが叶うなら
人間でなくてもいい
「ふ〜ん、そうなんだ。じゃ、お望み通りにしてあげる。でも、ちょっと条件があって、………
………
………ってことだから。あ!あとね!……
……
…させてもらうから。OK?了承する?」
…
「なんだ。死んじゃったか。まぁ、いっか♪話聞いてなかった方が悪いってことで♪」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「道がぬかるんでたんだってよ。」「あん時は、結構、雷も鳴ってたからな。」
「ああ、馬が驚いたんだろう。」「かわいそうに、ついてないな。」
「積荷にゃ、高い食材がたくさん載ってたんだってな?」
「ああ。だがほとんど食い散らかされてた。」「野犬だな。嫁さんの死体、現場に無かったそうだし。」「野犬に食われて、骨も残ってねぇだろうな。」
「シッ!旦那に聞こえるだろッ!」
気遣いながらも繰り返される雑音は、しかしながら喪主の男の耳には届かない。ただシトシトと濡れる空っぽの棺と、ぽっかりと大口を開けた墓穴に吸い込まれるだけで、男の体を素通りしていった。
「エド、なんと言えばいいか。方々手を尽くしたんだが…。」
他の村人よりいくらか身なりのいい村長が声をかける。
「…。」
「ウッ…!」
エド。エドワード・フーバーは、幽鬼のような顔を村長に向けた。
頬は痩け、無精ヒゲが猫のように好き勝手に伸び、目はどこを見ているのか分からなかった。ここ数日寝ていないのだ。無理もないだろう。
徴兵され、倒れる仲間の背を踏みしめて、それでもなんとか故郷へと帰還した者への神の褒美が『コレ』である。
信心を失った人間に、村長は軽い恐怖を覚えただろう。
「いえ、村長。ここまでしていただいて、感謝してます。あいつも、草場の影で喜んでることでしょう。」
「そうならいいが。なぁ、エド。気を落とすななんてとても言えないが、その、…」
「…。」
「その、なんだ、…気を落とすなよ。」
村長が手を上げるとそれを合図にほかの村人たちはぽつぽつと帰り始めた。
人気がなくなると雨の音が大きく聞こえる。ほかに聞こえるのは墓守が柩に土をかける音くらいであり、ほかには何も聞こえない。そう、聞こえないのだ。人として最も聞こえなければならない音が、エドにはどうしても聞き取ることができなかった。
自らの心臓の音。
エドには、あまりの鼓動の聞こえなさに、本当は自分が死んでしまって、彼女はどこかで雨宿りでもしているのではないかとさえ思えた。
それならそれでいい。
彼女が、エルザが死んでしまう位なら、そのほうがずっといい。
「そうだ。いっそ、いっそ今ここで。」
<ガッシュッ!
「ッハ!?」
エドが顔を上げると墓守がシャベルを杖がわりに突き刺して彼の前に立っていた。
分厚そうな黒いレイン
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