ここは海に程近い首都から少し離れた場所に位置する村。平穏で簡単に長閑な自然が味わえるとして貴族や豪商の療養地として成り立っている。
これと言った名産は無く、平凡なお年寄りが勤めている村役場に簡単な警備兵の詰め所、あとはほとんど道楽で開かれている八百屋や肉屋、魚屋等々しかない。
その中の一軒に評判の小さな診療所が建っている。一見、小さく地味に見えるが見る人が見ればしっかりとした造りのこの診療所は村の人達が建てた物で、ある名物夫婦によって運営されている。
魔物と人間双方を診る事が出来る医者は少ない。夫は偏屈で変わり者ではあるが腕は確かな医者で、村の人達にその腕を買われて住み込むようになった。妻とはその数年後に結婚したのだが、看護師姿で見せられる儚げな美しさと時折見せる妖艶な微笑で診療所の評判に貢献している。
今回はこの夫婦の馴れ初め話。血生臭く、何処か異常な愛あるお話。
首都から続く細い街道を小さな荷馬車が進んで行く。荷馬車の中には、本当に馬車が必要だったのか怪しいくらい少量の荷が置かれ、ゴトゴトと危なく揺れている。御者台には、男が乗っていた。
男の名は、カイン・ボードウィン。この先の村、ヘイヴン村に住んでいる偏屈な開業医である。
歳相応ならもっと明るい顔をしていてもいい筈だが、その日の彼は如何にも不機嫌そうな表情をして俯いていた。
それもその筈だろう。医者であるカインは、不足しがちな医薬品や磨耗した医療道具の買い替え、その他雑多な物を買いに首都に出たのだが、必要な分を売ってもらえなかったのだ。
その上、往診を頼まれた貴族宅に行くと行き成り門前払いを喰らい、見込んでいた収入もなかったのだ。しかし、こんなことは男にとっては、日常茶飯事であり、むしろ、最初の頃に比べればマシになったと言える。
「くそ、どいつもこいつも。本気で医学を探求する気があるのか。」
とぶつぶつ愚痴をこぼしながら帰路に着くのがいつもの事であった。
その日もぶつぶつ言いながら、手綱を握っていると前方から大きな鐘の音が聞こえてきた。
<カラン♪カラ〜ン♪
「んあ?」
鐘の音に驚いて顔を上げると前から大きな荷馬車が走ってきているところであった。どうやら愚痴をこぼしている間に手綱に力が篭り、道の真ん中を走ってしまっていた様であった。
「いかんいかん。」
慌てて馬を脇に寄せると、相手は、カインに一瞥もくれずに走り去って行った。随分と横柄な態度の御者であったが、カインは慣れているので別の部分に気を取られていた。
普段、4頭立ての大型馬車なんて本街道ぐらいでしか見かけないのに、迂回路でも無いこんな細い道で見かけるのは珍しい。紋章が貼られていなかった事から貴族ではない、おそらく豪商、しかも、そこそこ儲けている部類の商家だと解かる。なのに荷台はほとんど空で村から走って来たと言う事は、
「ふむ、誰か移って来たのかな?相変わらず金持ちの考えは解からんな。穏やかに健やかに暮らしたいのなら最初から金持ちなんぞにならなければいいものを。」
などと言いつつも、新しい患者さんが増えれば収入も増えるな、とまで考え、自分で打ち消した。
「医者が人の怪我や不健康を望むなんてとんだヤブだな。」
カインは止まっていた馬に鞭を入れ、昼飯と夕飯をどうするか考えながら帰る事にした。
ヘイヴン村は、閑静な住宅街と言った言葉がよく似合う村である。首都の中心部にある様な絢爛豪華な邸は無く、皆質素な色合いの邸であり、村の中心部に役所や商店が集められた造りになっている。
とは言っても、やはり、金持ちは金持ち。質素と言えどもその大きさは一般家庭に比べれば象と蟻である。
そんな不釣合いな町並みを眺めつつゆったりと進んでいると、カインは一軒の屋敷に目がいった。以前より空き家であった筈の屋敷から人の気配がしたような気がしたからだ。
門前に回ってみると予感は的中、丁度、配達のワーラビットが出てくるところであった。
青い制服に懐中時計が目印のワーラビットのうさうさメール社は、最近、頭角を現してきた新興企業。主に入り組んだ大都市圏で活動しており、大きな都市には必ず支社が一つ在るとまで言われている。あの規模を親族のみで形成している点でも有名である。
そんな配達会社から手紙を受け取ると言う事は、誰かが居る証拠。住んでいる者の事情などどうでもいいが、金持ちと言う部分に引かれ、カインは、少し覗き見ることにした。
屋敷の窓のほとんどが開け放され、忙しなく動くメイドが中と外を行ったり来たりしていた。本当に今日、引越しが終わった後なのだろう。
「それにしてはメイドの人数が少ないな。前に来た貴族の娘は夏の間しか居なかったのに何十人もメイドを引き連れていたものだが。」
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