「我が子よ、ここにては汝を責める者はあらん死もあらじ」
歌が聞こえてきた。それはまるで、母親が泣いている赤ん坊をあやす子守唄のような声で歌っている様であった。その心地良さに導かれるように俺は既に身体を動かすこともできないはずなのになんとか首をその声が聞こえる方へと向けようとした。不思議なことにあれだけ炎に包まれ、銀髪の女に何かされて苦しかったはずなのに俺の身体は最初に受けた剣による傷以外に外傷はなく、普通ならとっくにボロ炭になっていたにも関わらず、火傷の一つも負っていない
そして、顔を上げると霞んだ視界が次第にはっきりとし始めると俺の耳に入ってくる声の主である俺の左腕を斬り落とした肩まで伸ばした茶髪を後ろで1つに纏めた女の顔が映った
……綺麗な女だ
風によって草原がたなびき木々がざわめく中で歌っている女の姿は美しかった。いや、美しいのは歌っている女だけではなく、この風景もだ。最初は突然変わった風景に戸惑いと俺の邪魔をする女どもと俺が呪い続けたあの男への憎しみで気づかなかったがこの風景は綺麗だ
今、倒れている草の上も倒れた俺を支える様に柔らかく先程から吹いている風もまるで赤子の柔肌を撫でるかのように傷ついた俺を癒やす様に感じた
そして、
あの女……どうして、あの時……泣いていたんだ……
俺はこの場に存在するもう一つの美しい存在が顔に浮かべたとある表情を思い出した
「憶え、憶え……ジュ―リオンに乗れる時さえ我、汝を安らかに導けるに、神にいよいよ近き、今、しかするをえざることあらんや」
それはあの女が最後に俺の身体から出た玉の様なものを握り潰した時の怒りと共に見せた悲しみと苦しみが混ざったかのような表情だった。いや、あの女はあの時もそんな顔を見せていた
『あなたはすべきことをしてきたわ……』
あの時の女の今まで、俺に向けてきたものとは全く異なる表情と声音を思い出す。あの時のあの表情はまるで本気で俺の苦しみや辛さを労わり、慰めるようとするものであった。その時の目は決して、同情などの軽い優しさではなく、相手を本当に癒したいと切に願う慈しみが込められていた
……うっ……ううう……
俺はあの言葉を思い出した瞬間、大人気なく涙を流して泣いた
わかっていた……わかっていたんだ……本当に俺が許せなかったのは……俺だったんだ……
あの銀髪の女はまだ七歳にもならなかった娘と見合い結婚とは言え、互いに支え合い俺に幸せな家庭と言う宝物を与えてくれた妻を失った俺の苦しみを理解していたんだ。そして、どこかで俺が俺自身を責めていることにも
『お父さん』
『あなた』
死んで再び聞けると思った最愛の妻子の声が聞こえず、死の前に見た俺がリストラされた遠因を作った男が俺が失ったものをもっていたことに俺は嫉妬よりもどす黒い感情を抱いた
それが俺がこの家族を苦しめた理由だった。それはあの女が指摘したように逆恨みにもなってもいないただの八つ当たりだった。そして、俺はこの家族を俺と同じ目に遭わせようと呪い続けた。最初はあの男の娘の生命を少しずつ削っていき医学じゃ治せないほど衰弱させた後にこの家に姿を現してこれが霊の仕業だと理解させて色々と金のかかるものを買わせてやり、それでも効果がなく自分の娘が弱っていく姿をみせつけて苦しめてやった
だけど、どれだけあいつらが意味のないことをして、弱っていく娘のことで嘆いている姿を見ても俺の空虚さを埋まることはなかった
それは当然だった。なぜなら、俺は八つ当たりをしていただけだったのだ。俺とは違い、まだ幸せな家族との生活を持っているあの男に自分が家族を守れなかったことによる苦しみをぶつけることで仮令、まやかしでも救われたかったんだ。そして、次第に俺は醜い姿になってしまっていたのだ
もう愛する家族に顔向けできない醜い鬼と成り果ててしまったのだ
ごめん……ごめんな……結子……卯月……情けない夫と父親で……
俺は自分の不甲斐無さを誰かのせいにすること救われようとした自分の弱さをもう会えないであろう愛する際に謝りながら悔いた
すると
「汝、強く信ずべし、たとえこの燃え盛る焔の中に十年の長き時を過ごしても汝は一筋の髪すらも失われず」
………………?
………………綿毛?
俺の周囲、いや、この空間中にまるで毛玉の様に種子が生えた蒲公英みたいな光の固まりが無数に現れてゆっくりと浮き上がり始めた。そして、それは俺の身体に触れていく
俺がその瞬間、感じたのは
暖かい……
ぬくもりだった
この光に触れる度に俺に色々な感情が訪れた
母親に抱きしめられる安心感、父親に頭を撫でられる嬉しさ、愛する人間と抱擁を交わす喜び、我が子の笑顔を見れる幸福感、それら全て
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