山に踏み入る男が一人。
服装は軽装のまま。靴だけは分厚く、ひざまで覆える皮のグリーブだ。
ひざまで覆っているのは、草や虫から身を守るためだ。
腰には、即効性の塗り薬の瓶が入ったポーチをつけている。非常用だが、最近は使うこともない。
彼は傾斜のきつい山肌も、ぬかるむ足場も、意に介さず分け入っていく。
彼が求めるものは、多くない。
「お」
そのうちのひとつを目にする。
「そろそろか」
彼は見上げる。その先には、数十メートルはあろうか、という大木。
その幹はでこぼこしており、ロッククライミングの要領で上っていくことはできそうだ。
ただ、それでは時間がいくらかかるのか。余計な時間は割きたくない。
そして頂上には黄色く、丸く熟れた木の実が十数個見える。
幹だけでも何メートルというこの大木には、いくつの実がなっているのか。
それを考えただけでも、興奮が抑えきれない。
自然と、彼は屈伸を始める。跳躍の前準備だ。
「っ!!」
一気に息を吐き出し、そのまま上へと自らの身体を足の力で飛ばす。
速度は上るにつれてだんだんと遅くなり、そして止まる。
上昇から落下へと転じるその一瞬。その一瞬を、彼は逃さない。
止まったと同時に、彼はその両手で幹を掴み、両足を出っ張りに乗せて安定させる。
ここから、彼の登攀が始まる。
すでに跳躍で10メートルほどは稼いだ。あとは、目視で約20メートルといったところ。
「これならすぐに帰られるな」
彼は、に、と笑った。
彼の名は、フランク・グリーンウェル。
街から離れた山中の小屋に、一人で住んでいる猟師である。
特徴は、その額から左目、そして左の頬にまで及んでいる、縦長の傷跡である。
「『ユグドラシルの実』か」
「はい、ご存知ありませんか?」
二人の旅人が、俺の家をたずねてきた。
どうやら、街の人間が俺のことを紹介したらしい。
一人は、精悍な顔立ちの、おそらくは20代前半の男。
体付きは華奢ではないが、腕を見ればほどよく鍛えられていることがわかる。鍛錬を欠かさない証だ。
特徴的なのは、左腕の包帯。一体、何を隠しているのか。
「ここから、東へ三日ほどの丘に『ユグドラシル』と呼ばれている樹がある」
「そこなのかしら?」
もう一人は、緑の長髪、金色の瞳が目をひく美女。
肌が黒く、そのイメージに似つかわしい露出の高い服を着ている。
どうも「人」ではない感じがするが、深くは尋ねないことにする。
「道なりに進めば、ちょっとした集落があるからそこで改めて聞くといい」
「なるほど、ありがとうございました」
「ありがとうね、おっちゃん」
「……」
「サニー、馴れ馴れしいのはちょっと困りもんだぞ?」
「いいのよ、私はこれくらいが」
仲がいいのはいいことだな。
二人の旅人を送り出し、俺は山へと入る。
もう何度も同じ山へ入り、その都度獲物をもって帰ってきている。
危険だとは思わないが、油断はしないようにしたい。
そう思いながら歩いていると、かすかに「ニオイ」がした。
「これは」
独特の、鉄のような「ニオイ」。
しかし金属のような無機質な「ニオイ」ではなく、生臭い「ニオイ」だ。
俺は「ニオイ」がしたほうへと行き先を変える。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
歩いて数分も経たないうちに、開けた場所へ出た。
「……」
目の前には、息も絶え絶えのワーウルフが横たわっていた。
眉間にしわを寄せ、ぐるる、と呻いている。
左足の腿とと右手の上腕を何者かに食いちぎられた跡があり、牙の形がくっきりと残っている。
傷口からは鮮血が漏れている。遠く離れた場所にいた俺にも嗅げるほど、強烈な「ニオイ」だ。
と、ようやくワーウルフは俺の姿に気づいたようだ。
眼だけが、ぎん、とこちらをにらんだ。
これだけの傷を負いながら、まだ威勢が衰えない。
俺は駄目もとで話しかけてみる。
仮にこのワーウルフが「俺に襲われた」として仲間を呼んだ場合が危険だからだ。
少なくとも、俺に敵意がないことだけは認識させておく。
「俺は通りすがりの猟師だ。傷の手当てぐらいならできるが、要るか?」
ワーウルフは、無言でこちらをにらみ続けている。
これはまずいかもしれない。
俺の背中に、ひやりとした汗が一筋流れた。
にらみ続けていた彼女の瞳が、急に閉じられた。
ぐるるうぅぅ、と再び呻き始める。我慢の限界だったのだろう。
彼女は左手で右手の傷を押さえつつ、歯をギリギリと食いしばっている。
そして、彼女は絞り出す声で言った。
「お願いする」
彼女の声を聞き届けた俺は、そろそろ、と近づく。
もちろん、彼女の警戒心をむやみに煽らないためだ。
しゃがみこみ、腰のポーチから塗り薬の瓶を取り出す。
「それは?」
痛みに耐える彼女は、瓶からすくいとった金色の軟膏について尋ねてくる。
不安から、というより、疑心から、のほうが
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