優しい手

「……何だ、この程度か?」

違う、まだ、まだできる…!

「…どうやら俺の見込み違いだったか。お前には失望したよ」

…待って! 行かないで! 私を置いて行かないで!!

「使えない奴に興味はない。…じゃあな」

嫌だ!! お願い、私を一人にしないで!! 私を、捨てないで――っ!!



・・・・・・・・・・・・



「―――っ!!」

伸ばした手が、虚空を掴む。

視線の先にあるのは、木製の天井。

ミルラナは、ようやく自分が夢を見ていたのだと気づいた。

「…私は、確か……」

まだ頭が混乱している。

どうやらここはどこかの小部屋で、自分はベッドに寝ていたようだ。

ここはどこだろう。何故私はこんなところにいるのだろう。

少し考え、ミルラナはがばっと身体を起こした。

「そうだ、私は……っ!?」

ミルラナは自分の状況を思い出した。

ターゲットであるリフォンに接触し、戦い、負けた。

では何故こんなところで寝ていたのか。

わけがわからないままミルラナはベッドから立ち上がろうとするが、世界が揺れているような感覚とともによろけ、堪らずその場にしゃがみこむ。

「あ、おい。そんないきなり起きちゃ駄目だって」

急に声をかけられ、ミルラナは慌てて距離をとろうとした。

だが、身体に力が入らず、やはりまたよろけてその場に膝をついてしまう。

そしてミルラナが声のした方を見ると、そこにいたのは彼女にとって意外な人物だった。

「…ほら、まだそんなに動けないだろ?」

黒髪の青年。リフォンだった。

「…っ、どういう、ことだ…!?」

「どうもこうも、しばらくはまともに動けなくなるだろうと思ったから、とりあえず宿屋の俺の部屋に連れてきたんだが」

「そうじゃない! 何故、お前が、私を、助ける必要がある!?」

「何故って言われてもなぁ…。あんなところに放っておくわけにもいかないだろ」

ミルラナはますます頭がくらくらするような気がした。

リフォンの言っている意味が全くわからない。会話が噛み合っていない。

「だからっ…! 何故、私を助ける必要があるんだ!? 私は、お前を殺そうとしたんだぞ!?」

「おい、ここは宿屋なんだから物騒な物言いはしないでくれよ…」

そう言ってリフォンはぽりぽりと自分の頭をかいた。

「…最初はさ、そのまま衛兵にでも引き渡そうと思ったんだよ。でも、あんた、途中で『私を捨てないで』って泣いてるの見たら、どうも放っておけなくてなぁ…」

「んなっ…!?」

怒りと恥ずかしさでミルラナの顔が瞬時に真っ赤に染まる。

「…っ! う、嘘だっ! 私は、泣いてなんかないっ!!」

「いや、そんなこと言われても」

ミルラナはどうにか立ち上がり、きっ、とリフォンをにらみつけた。

「…私を助けたこと、絶対に後悔させてやる…っ!」

そう言って、ミルラナは辛うじてではあるが短剣を構えたまま、部屋の出口へとおぼつかない足取りで歩き出した。

リフォンは彼女を黙って見つめていたが、ミルラナがドアに手をかけたとき、ぽつりと口を開いた。

「……で、どこに行く気だ?」

「…お前には関係ない」

「…“戻れるのか”?」

その言葉に、ミルラナの動きが止まる。

一瞬、何のことかわからなかった。

…だが、すぐに、その言葉の意味を理解する。

「…俺だって、仕事柄、暗殺ギルドがどういう連中か知っている。一度仕事に失敗したお前をそのまま生かしておくとは思えないんだが?」

「……ぁ…」

そうだ。

暗殺ギルドの仕事に、失敗は許されない。

今のミルラナのように、ターゲットと接触しておいて任務をこなせなかったというのは論外である。

このままギルドに戻るなんて事はできるわけがない。

戻ろうとしても、消されるだけだ。

「…な、なら、ここで、お前を殺せば…っ!」

「…できるのか? 悪いが、俺だって黙って殺されてやるほどお人好しじゃないぞ」

「……っ…」

ミルラナは歯噛みする。

全力を尽くしても、リフォンには歯が立たなかった。

ましてや、今はまだ立っているのがやっとの状態である。

よほどの奇跡でも起きない限り、勝てる可能性は皆無だった。

「…ぅ、あ、あぁ……っ!」

ミルラナはうめき、その場に力なくへたりこむ。

居場所はない。帰る場所もない。仲間もいない。今のミルラナは、一人ぼっち。

死の恐怖と強烈な孤独感が、彼女を包み込んでいた。

「…いや、嫌よ…っ!! 一人は、もう、嫌ぁ…っ!!」

ミルラナは、震える身体をかき抱くようにして泣き始めた。

寒い、怖い、一人は、嫌。

そんな時、彼女の頭に、優しくて暖かい何かが触れた。

大きな手。リフォンの手だった。

「…すまん、あんたを追い詰めるつもりはなかったんだ
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