「男女の逢瀬に水をさすものではありませんよ」
扉に空いた傷穴から小百合先輩が見える。
なぜ彼女はこの場所にいるのだろうか。だけれども、それを今知ることはできない。
「もうすぐ相手が来ますよ」
紅坂さんは俺を、その純白の蛇体で拘束しながら言う。相手とはどういう意味なのだろうか。先程から彼女の言っていることの意味を理解することができない。今日は色々なことがありすぎて俺の脳みそはおかしくなってしまったのであろうか。
そうこうと黙っていると。カタカタと廊下を歩く足音が近づいて来るのに気づいた。
殆ど人がいなくなった校舎には、よく音が響く。不可思議なことにその足音がこちらの方へ近づくたびに、扉の傷穴の向こうに見える小百合先輩の顔が不安そうに曇たり、恥ずかしそうに赤面しながら顔をふせたり、彼女は動揺してはじめた。小百合先輩の幾つもの表情は一つ一つがとても美しくて、見とれてしまいそうになる。彼女のその豊かな表情達や、このように動揺する所も俺は初めて見た。
胸が苦しい。俺が見たこともない表情を彼女かするたびに胸の中心に何か重いものがのしかかる。
近づいてくる足音が止まった。それと同時に美術室の扉が開くのが見える。ああ、もう見たくはない。
「駄目ですよ。ちゃんと見なきゃ……」
できることなら止めてくれと叫びだしたい。この場から逃げ出してしまいたい。
だが体を縛る紅坂さんの蛇体がそれを許してくれなかった。俺は目をつぶった。
「あいたかったわよ……」
小百合先輩の声が聞こえる。目を閉じたとしてもそれは聞こえてしまう。小百合先輩がこれから言おうとしていることが分かってしまう。自分の腕は胴体と一緒に紅坂さんに縛られていて塞ぐことはできない。
「私の気持ちに応えてほしいの……」
嫌だ。こんなもの聞きたくない、知りたくない。だけどもう遅かったのだ。俺は知ってしまった。小百合先輩は今から告白をすると言うことを。俺も見たことのない、向日葵のような溌剌とした笑顔で。
「小百合……俺は……」
相手の声は聞こえない。聞きたくもない。
なんで俺じゃないんだ。瞼の裏の深い暗闇の中で俺は意識を手放す。手放す、一瞬何かカチッと固いものがぶつかり合うような音がきこえたような気がした。
○
下半身が寒い。
瞼を明るい光が貫く。目を開けると俺は見知らない寝台の上にいた。ここはどこであろうかとあたりを見回す。
なんというか驚く程に殺風景な部屋だ。あるものといえば、このベッドを除いてタンスと机くらいのもので、生活に必要な最低限の物しかない。まるで、マンションの部屋のカタログを見ているかのような気分になった。
もっとこの部屋を探ろうと、体を起こすと寝台に被されている柔らかいシーツに肌が直接擦れた。自分の体を見下ろすと、なぜか俺の服がそこにはない。
俺は何をしていたのだろうか。記憶に霧がかかったようにぼやけている。悪い夢を見ていたような気がする。
「目が覚めましたか。おはようございます白野君」
ぼうっと黄昏れていると寝台のしたから声が聞こえる。嫌な声だ。
「……」
紅坂さんが俺の寝る寝台の下から這い出てきた。だが彼女への恐怖心は起こらなかった。
そうだ、思い出した。小百合先輩が……。
「無視するなんて、白野君酷いです。私が失神した白野君をここまで介抱してあげたんですよ」
彼女は口を膨らませながらこちらを睨んできた。酷いのはどちらのほうなのか、そもそもあんなものを見せつけられて気絶しない方が厳しいだろう。だがもう彼女に何かを言い返すことでさえ面倒に感じて言葉が出てこない。
「……」
「もういいです」
彼女はヘソを曲げて顔を背ける。美術室でのことが無かったかのような、無邪気なやりとり。そうだもういいじゃないか、相手はわからないが小百合先輩には好きな人がいたのだ。小百合先輩への愛を実らせることはついに不可能となった。もう何もかも全てがどうでもいい。
「今はそれよりも……」
そっと寝台に押し倒される。
仰向けにされ、逃げ場をなくすように顔の両側に手を置かれた。彼女のしっとりとした蛇体が足の指先から首筋まで、撫でるように体に絡んできた。素肌が紅坂さんの柔らかい鱗に擦れてとてもこそばゆい。逃げ出さねばならないと心の中で微かに思ったが、俺には抵抗する気力も理由もなくなってしまった。
「ン……」
唇に何かが触れる。唇が触れただけだというのになぜこんなにも心地いいのだろうか。美術室での接吻の激しさとはうってかわって、紅坂さんの唇は人肌の暖かさと絹のような感触を俺に伝えた。
少しして、すぐに紅坂さんは唇を離す。そして鼻と鼻が触れるそうな、距離で彼女は俺をただじっと見つめる。
「フフフ……」
彼女は再び笑う。あの美術室でみせたのと同じ、邪な笑顔だ
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