「……本当にやる気なのね?」
山奥にある洞窟の最深部、その洞窟の主であるアラクネが、目の前に立つ一人の魔物にそう静かに尋ねた。
「これは、あなたには荷が重いかもしれない。いえ、たとえ誰がやるにしても、それ相応の能力を要求される。見る者に本物と錯覚させる演技力。羞恥に耐える精神力。そして何より、相手を喜ばせようとする愛情」
「……」
「それら全てが備わっていなければ、完璧にそれをこなす事は出来ない……コスプレは、まさに命がけの大勝負なの」
そこを照らす光は奥で鎮座するアラクネの左右に一つずつ置かれた蝋燭だけであり、その弱々しい光はアラクネと相対している魔物の姿を照らしだすには力不足であった。
その目の前の影に向けて、念を押すようにアラクネが言った。
「それでも……それでも、本当にやる?」
魔物の影が小さく動く。その動きを肯定と取ったアラクネが、溜息混じりに言った。
「わかったわ。あなたの覚悟は見届けた。私からはもう何も言わないわ」
「……」
「頑張ってきなさい。それで旦那様を喜ばせてくるのよ」
それ――そのアラクネの作ったブツを抱えながら、魔物の影が音もなく洞窟から消えて行く。
「……ふう」
そして完全に影の気配の無くなった洞窟の奥で、自ら生み出した糸を両手で弄びながらアラクネが呟いた。
「まさか、あれに需要があるなんてねえ……もう少し作り置きしておこうかしら」
頭の中で次に作る服の図面を引きながら、コスチューム職人の肩書きを持つそのアラクネは両手の糸を慣れた手つきで編み合わせて行った。
木こりのミラーが生まれ育った村を追い出されてから今日で二年になる。
彼が村八分にされた理由は至極単純。彼が離れにある森の中で出会った一人の魔物娘――マンティスを愛してしまい、そして彼のいた村が反魔者領だったからだ。
その村の人間は誰も彼もが教団の思想にどっぷりと浸かっていた。魔物は人を喰い殺す邪悪な存在として教えこまれ、ミラーもそのように教育された。だが愛は――彼女に対する一目惚れは、ミラーの頭の中からそんな教義を軽く吹き飛ばしてしまう程に強烈で新鮮な物だった。
彼は村を捨てようと决心した。だが捨てる前にバレた。彼の服や肌に、魔物の放つ気配や魔力が染み付いていたからだ。村に帰る直前、一目惚れしたマンティスに性的に襲われたのがマズかった。
結局、ミラーはロクに準備もする事が出来ないまま、民兵に追いやられる形で森の中へと入っていった。逃避行の中で、ミラーは村の人間達に対する怒りを燃え上がらせていたが、彼女の棲家に戻った時、入口の前でそのマンティスがボロ泣きしていた顔――今まで見た事もないほどに弱々しく、愛おしい表情――を浮かべたまま立っていたのを見て、そんな悪感情は全て吹き飛んでしまっていた。
それ以来、ミラーとそのマンティス――カシスと名乗った――は森の中で一緒に暮らしている。誰にも邪魔されること無く、そして時々他の魔物娘達と交流を深めつつ、ミラーとカシスは深く互いを愛しあって生活していた。
ミラーはカシスの事を深く愛していた。
今こうして一日の仕事を切り上げて夕日を背に家路についている時も、そしてそれより前に木こりの仕事をこなしていた時も。もっと遡って朝起きたその瞬間から、彼の頭の中には常に妻の姿があった。
ミラーは彼女の全てを受け入れ、受け止めてあげようと心に誓っていた。その強さも弱さも、良い所も悪い所も全部、自分で包んであげよう。ミラーの決心はドワーフの特注品なみに頑丈だった。
だがそんな彼でも、初めて見る妻の取る行動に対して驚く事も多々あった。
そして今回のこれも、その内の一つであった。
……と言うか、家のドアを開けたら目の前で妻が赤ちゃんのコスプレをしていたと言う状況を前にして、驚くなと言う方がおかしかった。
「……お、おい……」
カチューシャ型のヘッドドレスを身につけ、白のベビードレス――裾がめちゃくちゃ短いワンピースみたいな物――を羽織って口におしゃぶりを咥えて。
そんな格好で背を丸めて床の上に寝転がるマンティスの姿は、どうみても赤ちゃんだった。背丈以外は。
身長百七十八センチの愛する妻の変わり果てた姿を見て、ミラーは顔を引き攣らせた。
「……ど、どうしたんだ? いったい何がしたいんだ?」
「……」
「いや、黙っててもわからないだろ。どうしたんだよ?」
「……ばぶぅ……」
「――ッ!」
「ばぶぅ」
そして心まで赤ちゃんになり切っていた。こちらを見つめてばぶばぶ行って来るカシスを前に、ミラーは頭を抱えた。
やばいすげえかわいい。
「……どうしたんだよ。ストレスでもたまってたのか?」
とりあえず疼き始める本能を理性で押しこめながら、持
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