閉じられた世界で、二人

 知らない天井だった。

「……え?」

 目を覚まして一番に目に飛び込んできたその光景を前に、その少年――見た目からは十になるかならないかの年齢に見えた――は布団から顔を出したまま大いに戸惑った。自分の家の天井はもっとシミだらけで黒くくすんでおり、今自分が目にしているような汚れ一つ無い綺麗な物ではなかったからだ。
 モヤモヤした気持ちを抱えたまま、体を起こして周囲に目を向ける。そして数秒後に、その心のモヤモヤを更に大きくさせる。

「ここは……?」

 天井だけでは無い。それまで布団に入って自分が寝ていた――と思われる――その部屋は隅々まで掃除が行き届いており、ゴミはおろかホコリ一つ見えなかった。『自分の家では無かった』のだ。
 そして今自分が包まれていた布団や毛布もまた真っ白でふかふかとしており、それまで自分が使っていた物がただの薄っぺらい布に思えてくる程に暖かく、心と体に安心をもたらしてくれる物だった。

「こんな」

 こんな立派な物、今までお目にかかった事は無かった。
 まじまじと辺りを見回しながらそう少年が考えていると、不意に鼻をくすぐるなにやら美味しそうな匂いと、自分が足を伸ばした先にある障子の向こうから何かを引きずるような重い音が聞こえてきた。
 ここが自分の家では無い事を思い出し、少年がその場で身の危険を覚えた。だがその本能に従って毛布をはね除けて全身を起こすよりも前に、その障子が一気に開かれて物音の主が彼の眼前に現れた。

「あ、もう起きても大丈夫なのですか?」

 その姿を見て、少年は唖然とした。人間では無い何か、人間の上半身と蛇のような薄緑色の下半身を合体させたかのような何かがそこに立っていたからだ。
 おっとりした顔つきをした絶世の美人。髪を伸ばし、胸元を協調するような露出の多い服を纏い、硬い鱗に覆われた頑健なその手にはおたまを持っていた。
 彼女がいったい何者なのか――何の種族なのかは、魔物に疎い少年には判らなかった。だがその女性が『魔物』である事は、その体からすぐに判った。ただ、少年は海の向こうで幅を利かせる教団のように魔物に悪感情は抱いていなかったので、『いきなり顔を合わせて驚いた』以上の負の思いは抱かなかったが。

「ああ、良かった。顔色を見る限り、もう大丈夫なようですね。見つけた時はすっかり冷え切っていたものですから、一時はどうなる事かと……」

 もう大丈夫? 冷え切っていた?
 そして驚くと同時に少年は、目の前の魔物が何を言っているのか、そもそも自分がどうしてここにいるのかについて、強く疑問に思った。まともに魔物と合った事のない自分がどうして彼女と関わりを持っているのか、それについても同じように不思議に思った。

「あの、ここは」

 だがそれらを問おうとして今度こそ毛布を払いのけて立ち上がろうとした矢先。

「……あらあら」

 少年の腹の虫が盛大に自己主張を始めた。それを聞いた魔物が思わず苦笑を浮かべ、少年は恥ずかしさで耳まで真っ赤にする。

「あ、ごめんなさい。笑うなんて失礼でしたね」
「ああ、その、僕は別に」
「いえ、これはこちらの失態にございます。お腹が空くのは誰でも同じ事だと言うのに、変に笑ってしまって……」
「いえ、そんなの気にしてないですよ。それより、その――」

 二度目の腹の虫。またしても質問の機会を潰され、少年は恥と同時に理不尽な怒りを覚えた。そんな少年を見て、目の前の魔物が今度は真剣な面持ちで彼に言った。

「……あなたの仰いたい事、尋ねたい事が何なのかは存じております。しかし、それよりもまずは、お腹を満たす事を先にいたしましょう。お話はその後にゆっくりと」

 そしてそう言った後に深く頭を下げ、「私についてきてください」とだけ残してその魔物が部屋の奥へと引っ込んでいく。元より少年には情報も選択肢も無く、そして腹が減っていたのも事実だったので、ただ言われるがままにその魔物の後をついて行った。




 魔物が足を止めた先は障子に囲まれた畳張りの一室であり、左側には縁側が、そして部屋の中央には小さなちゃぶだいがあった。

「うわあ……!」

 そのちゃぶ台の上にどんと盛られた朝食の山を前に、思わず少年の口から驚嘆の声が漏れる。

「その、味に自信はありませんが、とりあえずは全て人並みに食べられるようにはしたつもりです」

 湯気の上がった炊きたての白米とふきのとうの味噌汁。野沢菜のお漬け物。焼き魚。タラノメの天ぷら。タケノコの煮物。
 そう控えめに漏らす魔物の横で、少年はその見た事の無い豪勢な献立を前に、思わず口の端からよだれを垂らした。

「これ……食べてもいいの?」
「はい。好きなだけ、全部食べてくださって結構ですよ」
「……!」

 この時、彼の心からは疑念も
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