アオオニは頭が切れる。計算高く、理知的で論理的思考も得意だ。彼女達に解けない計算は無いのだ。
だがそんなアオオニの頭脳をもってしても、解き明かす事の出来ない『難題』が一つだけ存在した。
ジパングのとある海沿いの町に、『龍宮亭』と言う名の旅館がある。
清潔で開放的な室内。海の幸をふんだんに使った美味い料理。お客様に対する暖かく丁寧な従業員の心配り。それでいて決して高いとは言えない良心的な価格設定と来れば、その町を代表する有名旅館と呼ばれるのも当然の事だった。
そしてこの旅館では――ジパングでは最早当たり前の光景でもあるのだが――人間と魔物が共に働き、旅館を切り盛りしていた。
アオオニの桃山花子もまた、その旅館で経理と受付の仕事をしていた。
「はい。それではお部屋の鍵を……はい、ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
午後二時。それまで泊まっていた宿泊客に、カウンター越しに花子が深々とお辞儀をする。その丁寧かつ明瞭な姿は実に堂に入っていた。
そしてその宿泊客と入れ違いになるようにやって来た客に対して、花子は心からの歓迎を込めた笑顔で応対した。
「ようこそ、竜宮亭へ。お待ちしておりました。ご予約していただいたヨシカワ様でございますね? ただいま案内の者が来ますので、そちらのソファでお待ち下さい」
そう言ってはきはきとした態度で宿泊客をもてなす彼女の姿は、まさに旅館の顔と言ってもいい程に凛々しく立派な物だった。
「ねえお姉さん。ちょっと聞きたいことあるんだけどさ、いいかな?」
「はい。なんでございましょうか?」
そしてこの地に慣れていない遠くからの宿泊客に対しても、彼女は真心込めた対応を忘れない。卑屈にならず、傲慢にもならず、懇切丁寧に客からの質問に答えていく。
花子の頭の中にはこの町一帯の地図が叩き込まれている。道案内もお手のものだ。
「……ですので、お客様のご要望にお答え出来る場所の中で一番近い所と致しましては、こちらが宜しいかと」
「なるほどねー。ありがとう、参考になったよ」
「いえ、お役に立てて幸いでございます」
「しかし君、なかなか可愛いね。どうだい? この後俺と一緒にお茶でも……」
「ごめんなさい。あなたタイプじゃないの」
時たまやってくる男性客の誘い――ナンパである――をバッサリ切り捨てるその姿もまた、従業員の鑑たる立派な振舞いであった。
ストレート過ぎる感が無い訳では無かったが。
「うーん……」
午後三時。あらかたの仕事を終え、花子が体を解そうと背伸びをしていたその時だった。
「あ、花子さん」
彼女にとっての『難題』がカウンター右手側の奥からやってきたのだ。それは体を伸ばしていた花子の姿に気づくと、朗らかな笑顔で挨拶をした。
「こんにちは」
それは一人の人間の青年だった。紺の作務衣を羽織って肩から籠を斜めに掛け、その手には釣竿が握られていた。
宮野一。一年前からこの旅館で働き始めた板前見習いである。
「え……あ、うん……こんにちは……」
そして一に挨拶をされた瞬間、生まれつき真っ青な花子の顔は一瞬で茹で蛸のように真っ赤になってしまっていた。かつて見せていた凛々しさなどどこにもない。緊張で唇はワナワナ震えていたが、大きく見開かれた目は一の姿を捉えて離さなかった。
「花子さん、どうしたの? 具合でも悪いの?」
「ッ! い、いや、そうじゃないの。ただ、その……」
「?」
「……き、今日も、その……素材調達の?」
「ああ」
しどろもどろながらに放たれた花子の言葉を受けて、一が得心したように破顔する。そして竿を軽く上げながら苦笑交じりに言った。
「うん。食材の良し悪しは体で覚えるモンだって板長に言われてね。漁船に同行する事になったんだ」
「そ、そうなんだ……じゃあ、それは?」
花子が伏し目がちに竿と籠を交互に見つめる。一が答えた。
「ああこれ? これは、アレだよ。一本釣り用のセットさ」
「ハジメ君、一本釣りに行くの? いつもの網じゃなくて?」
「うん。今日は網じゃなくて釣竿。これ一振りで魚を釣り上げるんだよ、一日かけてね。だから帰るのは明日辺りになると思うんだ」
「あ……そうなの……」
明日まで帰ってこない。花子の顔に陰が差す。だがハジメを心配させる訳にはいかない。すぐにいつも通りの顔――色は真っ赤なままだが――に戻って花子が言った。
「じ、じゃあ、ハジメ君、頑張ってきてね?」
「うん。行ってくるよ」
「ええ、いってらっしゃい……それと……その……」
「?」
不意に口ごもらせた花子を見て一が首をひねる。だが一が何事かを言おうと口を開いた直後、
「――おみやげ! おみやげ期待してるからね!」
「え、
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