いち。

静寂が支配する個室で、二つの影が並んでいた。
一つは、まるで呆れたかのように額に手を当て、もう一つは、ベッドの上でゆったりと身体を丸めている。
額に手を当てた影…青年は、布団で丸まる影に語りかけた。
「…いくら日曜日だからって、何時まで寝てるんだよお前は……」
どうやらふて寝を決め込んでいるらしき影は、その頭から生えた獣のような耳をピコピコと動かすだけだ。
それを確認すると、青年は容赦なく布団を引き剥がした。
そして、告げる。
「おら、起きろ。起きないと煮干しはやらんぞ?」
……ピクッ………。耳が反応を示す。なので、青年は一言付け加えた。
「…今なら、ごま油でカリカリに揚げてやっても良いんだがなぁ?」
「………」
反応は返ってこない。が、青年は気づいている。
彼女の、その立派な[アホ毛]がピコピコと激しくゆれ、その耳がピクピク反応している事に。
青年はさらに追い討ちをかける。
「煮干し揚げにしてやるのは今から三十秒以内に起きた偉い子だけだ。…いーち…にーい…」
三、四、五、と、カウントを始める。
その度に揺れ動く彼女のアホ毛と耳。そして遂には、二股に別れた尻尾も、ゆっくりと動き出す。
#160;
青年は確信した。嗚呼、やっと起きる。と。
「…おはよう御座います、ご主人様。ところで、にゃあの布団で何をしているのかにゃ?」
しかし、彼女は惚ける。そして、にっこりと可愛らしい笑顔を浮かべるのだ。
それを見た青年は一つ思う。
(…今日は煮干し、多めにあげるかな。可愛いし)
青年は少女の頭に手を置き、わしゃわしゃと荒く撫でて告げる。
「お前が起きないから起こしにきたんだよ…藍」
そして、今日も1日が始まる。
…と、言っても、もう1日の半分程の時間は過ぎているのだが。






「むぅ。煮干しはまだですか?」
「待ってろ。今出してやっから…ってあり?」
場所は変わって台所。
青年は、棚の奥にしまっていた煮干しの袋を取り出して、困惑の声を上げていた。
そして、その疑問を彼女…藍にたずねかける。
「…藍。お前、煮干し食ったろ?」
……………ピクッ。彼女の可愛らしい耳が微かに動いた事を確認して、青年は一つの確信を得た。
嗚呼、藍が犯人だな。確信犯だ。コイツ、食いやがった。
そう思った青年は、彼女の元へと歩いて行き…。
「…でこぴんでもするんですか?」
瞳をとじて、額を少し上に上げる藍。耳も垂れて、「んー」なんて言っている。
青年は思う。いや、彼は毎回思っていた。
何故この子は。
「いや、待てよ。何嬉しそうにしてんの!?」
そう、藍はことごとく、叱られるのが好きなのだ。
そして、いつも彼女はこう答える。
「私はご主人様の好きなように扱ってくださる事が幸福ですので」
毎回のように返ってくる返答に、青年は疑問を感じていた。
(お前…無視したら泣くじゃん)
それに関しては、青年が悪いのだが。
まあしかし、今はそんな事よりも大切な事がある。
「…藍。お前に煮干しはやれないな…」
「にゃ!?」
勝手に摘み食いしたのだから、当然だ。
そう思った青年なのだが、如何せん藍のしよらしい姿を見て、一つの提案を持ちかける事にした。
「どうしても食べたい?」
「………」
彼女は無言なのだが、その首は縦にこくり、こくりと動いている。
「それじゃ、おつかい頼める?」
実は、良い機会なのだ。
彼女…藍は、何事も出来ないから、だ。
おつかいなんかには行った事すらなく、当然のようにお店も良く知らない。
だから、条件が付く。
「…俺も同伴するけど、な」
保護者同伴のおつかいとは、なかなか恥ずかしいではないか。
一瞬、そう思い、しかし、その思いを考えたのが何故かと思いたくなる。
何故ならそれは、一般的な考えだから。少なくとも、自分たちには当てはまらない。
と、青年は思った。
何故か? 青年は、既に玄関で靴を履き、小首を傾げながら「行かないんですか?」と催促する藍を見ながらその答えを口にした。
「…お前、恥なんか感じないもんな……」
現に今、しゃがみこんで下着が丸見えな彼女は、それに気付いてなおにこやかにしているのだから。
少しは恥と慎みを覚えて欲しい。
青年は割と本気に祈りながら、彼女が待つ玄関へと歩を進めるのだった。


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12/02/03 19:43更新 / 紅柳 紅葉
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