「あーねーうーえー」
不意にそんな声が聞こえ、姉狐はチラと後方へと目を向けた。
声の印象は、一言で表すなら鈴。
リン、と透き通ったような声音を発したのは、妹狐。
自分に呼びかける妹狐の声に、だが、姉狐は一つ溜め息を吐く。
まったくこの子は、我慢がきかないんだから。
内心そう思いながらも、妹狐が言い寄ってくれるのは姉として満更でもなく。けれど、出来るだけ平静を装り言葉を紡ぐ。
「…はぁ。ツクモ、御飯ならまだよ?」
きっとお腹が空いたのだろう。だけれど、もう少し待って貰わなくては。
姉狐は、妹狐のツクモの押しに弱い。けれど、ここで甘やかしてしまえば母上に怒られてしまう。
姉狐としては、妹を甘やかす事は悪くないと思っている。
何せ、自分が生きた数百ねn…否、十数年の中で、やっと出来た妹なのだ。
正直、甘やかしたくて仕方ない。姉狐は、歳の離れた妹を溺愛している。…と、言っても過言ではなく、事実、姉狐本人がそれを認めている。
…が。
それを考えた上で、やはり…甘やかしてやれないと姉狐は思った。
もし、指定された時間より早く妹に御飯を食べさせてしまえば…。
姉狐は想像した。美味しそうに、自分の作ったお味噌汁をすする妹の姿を。
「姉上の料理は、誰のものより美味しいです」と、笑顔を見せる妹の姿を。
可愛らしい笑顔。それを想像しただけで、気付かず、姉狐は頬を緩めていた。
そしてそこで、一つの声…いや、記憶が、脳裏を過ぎる。
「…良い度胸、と誉めてやらんでもない。…が、私とあの人の思い出…ふふ、それを汚いとは…イヅナ、覚悟はあるか?」
それは姉狐…イヅナが、母と父の思い出の、桜の大樹…雨で花弁が破けたそれを汚いと言ってしまった時の事。
…がくがくぶるぶる。
姉狐は震えた。思い出したくもない。
あの時の母上はいつもの優しい母上ではなく、鬼。または、修羅だ。
姉狐は鬼も修羅も見たことはなかったが、本能的にそう感じたのだ。
そして、姉狐は思う。
母上には絶対服従。口答えも一切しない。人形のように、従順になっておこう、と。
そんな母が、姉狐に言ったのだ。
しばらく家を空けるから、妹の面倒をちゃんと見てやれ、と。
それは、母上と父上の愛の巣もとい、家を私に預けるという意味であり。
もし、そんな重大な事を任されているのに、母上の定めた規定を破ってしまったのなら…。
…がくがくぶるぶる。
姉狐は震え上がる。何をされるかわかったもんじゃない。
今、本人が居ないとはいえ相手はあの母上なのだ。時空を越えて呪われるかも知れない。それくらいの事は、やる。
姉狐の頬を、冷や汗が伝う。
ああ、ごめんねツクモ…。御飯、もう少し待ってね…。
苦肉の策である。姉狐は奥歯を噛みしめ、仕方ない。仕方ない事なのだと自分に言い聞かせた。
…が、そこでふと、姉狐は想像する。
いつもピコピコと動く妹狐の可愛らしい耳が、元気なさげに垂れてしまっている姿を。
あくまで想像。姉狐は頭をぶんぶんと振り、その想像を振り払おうとする。
すると、姉狐の想像の中の妹狐が霞んで行き…
と、そこまで来て、座り込んだ想像妹狐が、お腹に手を添え…そして。
……きゅるるるる…
妹狐のお腹の虫が声を上げ、愛しい妹が涙目で言っていた。
「姉上……おなか、すきました……うぅ…」
姉狐は、胸が引き裂かれるような錯覚を覚えた。
想像の中の妹狐が、お腹を空かせて泣いている。…あくまで想像だというのに、姉狐は自分が外道に落ちたと思った。
けれど、自分の命がかかっているのだ。張り裂けそうな気持ちをなんとか押さえ込む姉狐。
…けれど、駄目。駄目だった。
脳裏に焼き付いた泣いている妹を想像すると、どうしようもなく胸が痛んだ。
そんな姉狐を、妹狐は見つめながら口を開いた。
「それもあるけど、今は違うのです」
けれど。けれど、姉狐はまるで深く考え事をしているような顔つきになり、応えてくれない。
もしかしたら、自分の話も聞いてないのかも知れない。妹狐は、そう思った。
すると、妹狐の中に黒いもやもやが生まれた。
かまって欲しいのに、相手にもしてくれない。妹狐は、半眼で口を開いた。
「…姉上の、ばか」
ぶー、と唇を突き出し、拗ねたように物申す。
それは、妹狐からしてみれば、姉狐に構って欲しかっただけの一言だった。
…だが。
姉 狐 に と っ て は 、 違 う 。
姉狐の世界は、そこで一旦時をとめた。
今、妹はなんて言ったのだろう。聞き間違い? そうだ。そうに違いない。
そう思った姉狐は、先程の妹狐の言葉を脳内で再生した。
「 姉 上 の 、 ば か 」
………まさか、そこまで…!? 姉狐は戦慄した。
あの純真無垢、従順で可愛らしく完璧な我が妹が、まさか…自分に悪口を叩くだなんて。
今まで、妹狐が姉狐に悪口を言った事はほぼ皆無に等
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