泥酔の饗宴

青年が目を覚ますと、木々に囲まれた湿地帯に倒れ込んでいた。
両親に身を売られ、トラックに投げ込まれた事までは、覚えているが、その後の事は覚えていい。
何か事故にでもあって放り棄てられたのか、それとも邪魔だったから捨てたのか。
理由は分からないが、後頭部がズキズキと痛み始める。
幸い大きなけがはしていないが、まともに食事を取っていなかったためか元気はない。

ジメジメとした湿地帯は居心地も悪く、色とりどりの毒蛇が警鐘を鳴らしている。
長居してもいいことはないと悟り、ボロ切れを纏ったまま走り出す。
膝が切れて出血しているため全速力では走れない。
それでもその場にいるよりは何より最善の策だと思った。

数時間走ったり、歩いたりを繰り返していくうちに日も沈み始めた。
肌寒い風が青年の横を走り去る。
このまま日が暮れれば、食料も何もない状態で一夜を過ごすことになる。
ましてや真夜中の森で、どんな獰猛な動物が青年を狙っているかわからない。
何としてでも状況を一変させなければ、死に限りなく近いのは必至だった。
とはいえ、草木を掻き分けても開けた場所には出そうにない。
万事休すと思って俯いたその時、青年の耳に美しい笛の音色がかすかに届いた。
どこからともなく聞こえてきたその音色は聞いたことがないほど美しく、人を惹きつける力があった。
誰かがいる。もしかしたら助けてくれるかもしれない。
藁にもすがる思いでその音色がする方へと青年は駆け出した。
獲物をおびき寄せるような、妖しい音色だという事を疑いもせずに。

道なき道を突き進んだ所で、少し開けた場所に出ることができた。
音色の主を見つけるまでそう時間はかからなかった。
切り株に座りながら笛を吹いている獣人。
山羊のツノに柔らかそうな体毛が特徴的で、残念ながら同じ人間ではない。
下手をすれば、青年を獲って食う可能性だってある。
警戒しながら近付くと、獣人は突如笛を吹くのをやめた。
そして青年に気づくとにっこりと微笑んだ。
屈託のない笑顔に思わず気を緩ませてしまう。
最大限に警戒しながら、じりじりとにじり寄っていく。

「別に襲ったりしませんよ?」

「そ、そうか」

小さく笑いながら、フレンドリーに話しかける獣人は目を凝らせばどこかで見たことがある種族の特徴に似ていた。
サテュロス。
笛を吹くのが好きな温厚な獣人……。
青年が覚えているのはここまでで、実際の所は詳しく知らない。
とりあえず獰猛な動物でない事は確かだ。
一人だけ警戒しているのが馬鹿らしくなり、すっと肩の力を抜く。

「私はただ誰かとお酒を飲みたいだけなんです。一人でお酒を飲むより、二人の方がいいですからね。キミはお酒大丈夫ですか?」

サテュロスは切り株の横に置いてあった紫色のワインボトルを取り出すと、白いマグカップになみなみと注ぎ、青年に渡してきた。
そういえば、サテュロスって酒も好きだったっけと青年は思い出した。

「一緒に飲んでぱぁーっと過ごしましょう」

「大丈夫だけど……実は、遭難して食べ物も水もないんだ」

せっかくの酒の席で水を差すようで申し訳ないが、はっきり言っておかなければサテュロスのペースに引き込まれる。
暗くなると思ったが、素っ頓狂なほどサテュロスは明るかった。

「あーそうなんですか? じゃあ私が全部面倒見てあげます! 夜を安全に過ごせる場所も教えてあげます!」

「ほ、ほんとか?」

まさかの事態に喜びを隠せない。
もうダメだと思っていたが、神様は見捨てなかった。
神よありがとう。
両親に身を売られた時とはうって変わって神様に感謝するのだった。

「その代わり私と飲んでくれたら、ですけどね」

「そんなこと言われたら喜んで飲むよ! ありがとう!」

「えへへ、そんなに喜んでもらえると照れますよ……さ、ぐいっといっちゃって」

渡された容器は標準のマグカップほどの大きさだが、そこになみなみとワインが注がれている。
全部一気に飲むのは無理だが、青年にとって酒は弱い方でもない。
これくらいなら口をつけても倒れる事はないだろう。
青年はマグカップに口をつけて、ごくごくと飲み始めた。
隣でサテュロスが小さく口を弧に歪めたが、青年はその事には全く気付かない。
半分程度飲み干して、ワインのあまりの飲みやすさに驚いた。

「うまい……これならグイグイいけそうだ」

素直に感想を口にすると、サテュロスは相変わらず笑顔で口を開く。

「喜んでもらえたみたいで嬉しいです!まだまだあるから遠慮しないでいいですよ」

青年が頷くと、サテュロスが質問を投げかける。

「ここは人間が中々立ち入ることができないところなんですけど、キミはどうやってここまで?」

「実は自分でもよくわからなくて……両親に金がないからって売られてさ……」


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