それはある青年が気分転換と運動不足の解消を兼ねて海水浴に行った時の事だった。
その日は太陽がぎらぎらと照りつけていて、青年は生温い海で肌を湿らせていた。
青年の周りでは若いカップルや家族連れが浮き輪やボートを使って楽しそうに泳いでいる。
流れてきた海藻が足に絡みつき、気持ち悪さを多少感じながら特に何をするわけでもなく漂っていた。
「またか……」
足に何度も絡みつく海藻。
試しに掴んで拾い上げてみると幾重にも絡まった薄茶色の海藻が姿を現した。
それを見てすぐ捨てたが、また違う海藻が足に絡みつく。
この海はあまり綺麗ではないのだろう。
その辺りのコンビニでもらったであろうビニール袋の切れ端が体に貼りつく事もある。
泳ごうと思っても海水は口に入ると異様にしょっぱく、辺りのゴミと相まって不快でしかなかった。
良いイメージに釣られて来てみたが、失敗だったみたいだ。
とりあえず砂浜に戻ろうと思った矢先にまた足に何かが絡みついた。
また海藻か、あるいはゴミか。
青年は少しイラつきながら足を上下に激しく振った。
しかし、それでもその何かは剥がれ落ちない。
仕方ないので掴んでみるが、驚くことに、びくともしなかった。
それに、なんだかぬるぬるしている……
「え……」
さすがに不審に思い足を水面にあげてみると、そこにはタコの吸盤のような触手が青年の右足を絡め取っていた。
その触手は異様な大きさで、普段食べているタコの足とは比較にならなかった。
青年は身の危険を感じて、すぐに砂浜へ向かおうとしたが、気付けば強い水流に巻き込まれて沖の方まで流されていた。
「だ、だれか助けてくれ!」
声を荒げても波の音にかき消され、ただ、青年は触手にぐいぐいと引っ張られていく。
手をバタバタ動かしてみても、足から引き剥がそうとしても、全くの無意味。
そのままひたすら流され、砂浜が見えなくなった途端、なぜか触手の力が緩んだ。
そしてその本体がざばあと水中から顔を出し、その正体を晒した。
少女……というよりは妖艶な女性がにやつきながらこちらを見ている。
豊かな胸と、綺麗にウェーブがかかった紫の髪はまるでアメジストのように高級感たっぷりに輝いている。
あまり綺麗とは言えないこの海にはふさわしくない光景だ。
「初めまして……私はセシア。この海で生活しているの」
どうやら彼女は人間の言葉を喋れるようだった。
見た目も人間に近い……というより人間にしか見えないが、こんな沖で平然と構えていられる人間を青年は知らなかった。
「人間からはクラーケンと呼ばれているらしいけどご存知かしら?」
「し、知らない……」
神話だったり、怪談話、はたまたパニック映画なんかで、イカやタコの化物として知られている名前ではあるが、目の前の女性がそのクラーケンにはとても見えなかった。
映画のクラーケンはもっと大きくて、ずぶとい触手で船や潜水艇を巻きつけてぐしゃぐしゃにしてしまうほどのパワーの持ち主だ。
それに比べて目の前の女性は化け物とはとても形容しがたく、何より華奢であった。
下手すれば奇抜なコスプレと間違わられてもおかしくない出で立ちだ。
きっとクラーケンはあだ名か何かだろう。
そんなあだ名が付けられる経緯なんて想像も出来ないけど、そうに違いない。
そうであってくれないと、パニック映画の犠牲者のようにいつ殺されてもおかしくない。
「ふふ、まあいいわ。私がなんで貴方をここまで連れてきたか、大方予想はつくでしょう?」
「いえ……まったく」
笑顔のセシアは突然目を大きく見開き、光を失った目で青年を見つめる。
「なら教えてあげようか? ここまで海を汚した人間に対する当然の報いを受けてもらうの。よかったわね、記念すべき最初の犠牲者は貴方よ」
「……え、え! そんな!」
「恨むなら自分の行いを呪いなさい。散々海を舐めて汚した罪を償うには死でも軽いくらいだから」
半ば理不尽とも言える理由。
確かに海を汚したのは人間かもしれないが、青年はこの海に初めて来た人間であり、海にゴミを捨てたことは一度もない。
それでも、セシアからは憎悪の念がどす黒く渦巻いている。
ここは絶対に彼女の誤解を解かなければいけない。
セシアは目を細め、触手をぎゅっと締め付ける。
今にも沈ませてやろうという意志を存分に感じられる。
説得しなければ本気で海底まで沈められてしまいそうだ。
「ま、待って! 確かに一部そういう人間もいるかもしれないけど……僕は良い人間だから! その悪い人間とは違うから!」
「そう。私の仲間が同じことを言われたらしいんだけどね。仲間が人間を解放した途端に罵声を浴びせてゴミなんてもっと捨ててやるって言ったのよ。その人間を信じて解放した仲間はひどく傷つけられてね、人間を見ると怯えてがたがた震える
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