5.舟饅頭

 闇の中。ゆっくりと眼を開けば、そこには弓を引き絞ったような月が。

 中空に浮かぶ弓月。黄身のような黄色い色をして浮かんでいる。
 目に映るものといえば、月と真っ暗な空…そして、かすかに揺れる剣のように鋭いススキの葉。
 聞こえる音と言えば、虫の鳴き音、水鳥でも潜んでいるのかバサバサという羽音。…そして、わずかな水の音…。

 俺は、そんなのが聞こえる只中に寝そべっていた。
 体が左右に揺さぶられる。川の流れからはずれた処だというのに、わずかに揺れている。
 ここは舟の中。ふたり、さんにんが乗れるような小さな舟の中で、俺は寝そべり夜空を眺めていた。
 頭をちょいと上げれば、そこには一面に草の原。葦やススキなんかが生えているんだろう。

 日はとうに落ち、腹ごしらえの握り飯も腹の中だ。
 持参した酒に手をつけたいが、もうすこし待とう。

 俺は、今…待ち人をしている。
 休日前夜、こうして人気のないところで待っていた。

ギィィ…ギッコ…
 ギィィ…ギッコ…

 夜の川から響く音。それは、艪。
 ずっと、ずっと待ちわびた音。それは、だんだんと大きくなり…音が消えた。

「トクさん。徳介さんや、いるのかい?」

 すぐ近くから、名を呼ぶ声が。すっかりと聞きなれたその声。

「おカヤかい?」

 ずっと、ずっと聴きたくて、堪らなかった声。その名を口にしたくて待っていた。

「あい。トクさん」

 体を起こすと、舟の先にちいさな舟提灯を点した舟が…すーーっと寄ってくるのが見えた。

「待っていたよ。おカヨ」
「あい、トクさん。こんばんは」
「今夜も一晩よろしくな」
「あい、あい。おまいさん」

 逢引というわけではない。
 おカヤは、恋人ではない。
 この女は、馴染みの商売女。
 その売色を、俺が買う。
 出逢ったのは、いつごろからだったか…。
 心を合わせるようになって、だんだんと身体を重ねるようになっていった。
 心を通わせるとはいえ、それは商売人と客の割り切った関係でしかない。

「はやく、こっちに渡ってこいよ」
「あい。ちょぃと待って…」

 舳先にあるちいさな舟提灯の火をふっと吹き消すと、着物の裾をたくし上げた。
 ちいさな舟と舟。舟を寄せ合い棹を差し出して、おカヤがこちらに渡るのを助けてやる。
 恐る恐る伸ばした足。月の光にさらされて、夜目にぼぅっと白く浮き上がる。
 細すぎず、太すぎず。肉付きのいいその足。そぉっと伸ばした足がかわいらしい。
 悪戯心に、渡りきる直後にすこしだけ舟を揺らした。

 きゃっ!と短く悲鳴をあげると、こちらに倒れてきたので受け止める。
 ふくよかなその身体は、すっぽりと俺の体に嵌まるように収まった。

「もぉ…徳さんのいじわる」

 その撫で肩に、顎をひっかけるようにしておカヨの頭に寄りかかると、着物の襟からおしろいとは違う女の香りが…。

「ははは、カヨ。おまえは俺にとって菩薩さんなんよ。だから、一時でもはやく抱き締めたいと思うのはあたりまえじゃぁないさ」
「おちたらどぉするのさ」
「そぉしたら、着物はそこらに引っ掛けて俺達はいっしょに肌温めようや」
「もぉ、すけべぇな徳さん」
「だから…」

ゆっくりと、帯を解いていく…

「おカヨ…。ちから…抜いて…」
「あぃ。とく…さん」

 おカヨの耳にそっと口をよせて…囁いた。

「おカヤ…すきだ。…せめて、今だけは、今だけは俺の女でいておくれ」

 会うたびに、一晩だけでいいから女房になってくれと云い続けてきた。

「あい。うれしい…徳さん。…おまえさん?おまいさん…今夜も大事にしておくれ」

 おカヨもうれしそうに甘えた声をだしながら、顔をすりよせ答えてくれる。

「もちろんだ、カヨ。たったひとりの大事な女房さ。…おカヨ…すき…だ」

 首に、下あごに、うなじに…軽く口づけをしながら胸元へと、手を這わせるように忍ばせていく。

「あぃ…あっ…うん……おまい…さん…」

 耳たぶを舌先でねぶると、イヤイヤするようにわずかに首を振りながら、甘く切なさそうにちいさく声をあげるおカヨ。
 そんなカヨをもっと見たくて、耳たぶを甘噛みしてやると吐息の混じった声で喘いだ。
 徳介の事が待ち遠しかったのか…その身体を這わす手に、自らの手を重ねて導くように触らせるカヨ。

 互いを求めようと…

 心と心を…身体と身体を…

 重ねていった…。





 俺とおカヨは、事が終わった後はいつも舟の中で寄り添っている。
 けだるくまったりとしたこの時が、一番しあわせなのかもしれない。
 すぐそばに、だれかの温もりがあるという心強さ。
 ひとり者の俺にとって、なによりも得がたいひととき。
 やわらかであたたかいこの女といつまでも一緒にいられたらと、いつも思う。けれど
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