3.道場破り

とある町の貧乏長屋の一部屋での日常風景

「はいっ!…あーん♪ 」

 ほどよく焼かれたそれは皿の上で湯気を上げていた。
「…自分で食べれる」
 目の前、口元…すぐそばに食べてくだされと差し出されたそれは、知らず唾がでてしまいそうな良い匂いを放っていた。
「そうおっしゃらずに♪♪♪ わたしはあなた様の“妻”なのですから♪ はいっ♪ あーん♪ 」
 焼きたての魚。その身を解して、愛しき人へ食べさせてあげようと箸でとって差し出していた。
「志保よ…あー…そのな?」
「なんですか?正之助様♪ 」
どこかむず痒そうなのは田崎 正之助。そして対照的に寄り添う満面の笑顔の女…その名は、志保。
「……」
「正之助様?お口をあけて下さりませ。生きのよい鯵のヒラキですので、食べればきっと宵の疲れも取れお力もまた漲ることでしょう♪ 」
 にこにこと笑う志保。その後ろを見れば深緑色した尻尾があった。
 機嫌よさそうにそのしっぽが、ひょこひょこと動く。
 よく見れば、着物から覗くその手も足も人のソレとは違い爬虫類の手足のように厳つい…
そう…この志保は、蜥蜴人だったのだ。
彼らの出会いは驚きのものだった。
街に辻斬りが出たというので、退治してみたらそれは蜥蜴人だったのだ。そんな、奇妙な縁がきっかけで夫婦となっていた( 詳しくは、日の国小話奇談 其之壱:5.辻斬り )

「なァ、一人で食べられるから…な、な?」
 恥ずかしいのか、赤い顔をして正之助は一人で食べれると言うが…。
「駄目です!わたしは妻の務めをはたしているだけなのです。ですからっ!そうご遠慮なさいますな。あーんが嫌だというのであるならば…あん…」
 どうあっても食べさせたいようだ。
「口移し…を所望なのですね?さっささ…んーーー」
 そういうと、魚を口に含み唇を差し出す志保。
「まっ?!まて、まてまてまてまて!!!待つのだ!そ、それはぁ!」
逃げようとする正之助の腰に志保のしっぽが巻きつき…捕らえて放さない。
「んーーー♪ 」
そのまま圧し掛かり、押し倒す。
その瞳は、妖しく笑っている。
「しほーーー?!……ん……んぐ……」
押しのけることもできずに…その抱擁と口づけを受ける正之助…
「んっ…ちゅ…。はぁ…はぁ…いかがですか?とぉってもおいしいでしょう♪ 」
「んっ…んぐんぐっ…ごくっ……そ、そうかもな…」
「そうなのです。さっ…もう一口♪ 」
 志保は焼き魚を大きく切り取って口にくわえた。
 押し倒されたままで、飯よりもその志保の重みに欲情を覚えそうになった正之助…
 唇からはみ出ている魚を口づけするかのように噛み切ってから、なんとか志保を抱き起こした。
「まひゃのふけ様?」
「ん…もぐ…。ん…。す…すまぬ。それは志保が食べてくれ…。口移しは…刺激が強すぎる…。だから…その…」
 目が泳ぐ正之助。それを察したのか、股間を見つめて悪戯っぽく撫でてから笑いながら言った。
「ん…んふふふ。…ならば…"あーん”ですね♪ ヤンチャなここは、今宵また頑張ってくれることを期待しましょう♪ 」
 股間をなでられる恥ずかしさに顔を赤くしながら、渋々あーんを承諾した正之助。とりあえず…志保にも“あーん”をしてやらねばと、とってやる。
「…ほら、志保…。あーーー」
「あーーーん♪ ん…ん…うんん…」
「うまいか?」
「とってもぉ…♪ おいし♪ 」
 蕩けてしまいそうな顔をして微笑む志保。
「では…正之助様も…あーーーーん♪ 」
「……ッ!……ぁーーーん…」
 顔が茹で蛸のようにさらに赤くなる正之助。
「んふふふふ…♪ 」
 正之助が“あーん”をすると、本当にうれしそうに抱きついてすりすりと頬ずりをする志保。
「志保…大げさだ」
「正之助様が、わたしの“あーん”を受けてくれたのですもの…うれしくて涙がでてしまいます♪ 」
「おおげさな……」
「正之助様には、精をつけて頂かなくてはならないのです。ですから…もっともっと食べてくださいましね♪ 」
「む……むぅぅぅぅ…わかった…」
「さっ…今度は、あさりの貝飯ですよ。この貝が疲れを取るのです。…さっ…あーーーん」
「あーーー…ん…」
 きゃっきゃっと志保のうれしそうな声…新婚の初々しさそのままに甘く爛れそうな会話は続く…
 田崎家の幸せな昼飯はもう少し掛かりそうだった…

 長い昼食が終わった頃…
 外から声がしてきた。
『…すまぬが…田崎の家はここか?……そうか、かたじけない』
正之助を訊ねて誰かが来たようであった。
『田崎の家に用があって参ったのだ…。そこをどいてくれぬか?』
貧乏長屋の人々のがやがやとした声がする…そして…
『ごめん!田崎 正之助殿はご在宅か?』
凛とした男の声が辺りに響き渡った。

「はーい!」
志保が戸を開けると、30前後の男が立っていた。
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