15.闇にひそむ者

口惜しや…

  口惜しや…妬ましや…

一体、何度この言葉をつぶやいたのだろうか…
口から出る言葉は世を恨むもの…だけ…

この地に来て幾星霜…もはや、幾ばかりの年が流れたのだろうか…

ピチャッッッッ…

闇…暗き洞穴内に、水音が木霊する…
時の止まったこの穴の中で、音は一瞬に広がり消えていく…

まるで、わたくしの声のよう…
呟き、言葉となろうとも決して届かず消えていく…

世を恨む心はわたくしの容姿をも変えた
人と大きく異なる異形の姿…
人に害為すその姿…
人だった…美しかった姿は今はなく、百足の体が腰より伸び…醜悪なその姿は、見るものに畏怖と恐怖とを覚えさせるだろう

…口惜しや
 …妬ましや
  …恨めしや

そんな言葉しか心に浮かばぬわたくしとて…人の生を、美を、心晴れやかな時を過ごしたこともある
ああ、華やかし頃が思い浮かばれる…



あれは…まだ齢二十になる前、一五・六の頃…

「結乃。そなたは私のために、上皇様の后となるのだ」

結乃…それがわたくしの名…
父は、柊 恒近。宮中にて、上皇様の側近が一人。この頃、急速に力をつけて、ますますその権力の増大を図ろうと、父はわたくしを上皇様の后に据えようとなさっていたのだ
宮中に入り、上皇様にお目通りなったとき…わたくしはお父様の気勢ますます高まることを疑いようもなく、父の為、お家の為に身を捧げる一心だった。
上皇様はまだお若く少年と言えるような歳、その位に着かれたばかりのお方。年があまり離れてはいないわたくしが后となるのは可笑しからぬこと。若さとその美貌…そして、近い歳によって誰の目にもわたくしが后になる…そう思っていた
だが…あるとき、別の側近達が寄り集まりわたくしとは別の后候補を担ぎ上げた
父…柊家の勢力の台頭を恐れたのは明白。以後、わたくしとその女は政争の只中へと身を投じることとなる…

色鮮やかな衣に身を包み、雅な香を焚いてはその匂いを纏い…上皇様のお気を引こうと詩を詠う…そんな日々…
毎夜、毎夜…輝く星月の下、上皇様のお耳元へ届けとばかりに笛を吹いた…
お誘いが来るのを待ちわびて…

なれど…わたくしは…選ばれることなく終わった
お父様の権勢を疎ましく思っていた、他の側近達の謀によりわたくし達は宮中どころか、都までを追われることとなった
都より、西の果て…この地へと追い落とされた
あまりのことにお父様は病に伏して亡くなった。母も後を追うように…
わたくしは…心に恨みを持ち、“鬼”となった
“鬼”となったわたくしは、その心どころか身体までも醜い異形へと変わり果てた…

異形へと変わり果て、一体幾年月流れたのか…最早、最早どうでもよい
恨みを呟き、果てるのを待つのみ…



そんなわたくしだったが…ある時、身体が熱くなっている時がある
身体に汗が滲むほどのなにか…身体の中が熱い。それに、気を囚われると、恨みに凍てついた心が何かの衝動に駆られる
衝動は、心を揺り動かし不安を呼び起こす。不安は、欲求を呼び覚ました
ほしい…
 ほしい…
何かがほしくてたまらない

わたくしは、その欲求がなんなのかもわからぬままに暗き洞穴を飛び出した…

久しぶりの外…
溢れんばかりの緑が瞼に焼きつくようだ
木漏れ日から注ぐ日の光。きらりきらりと…きらきらと…
眩いばかりの輝きに眩暈を覚える。その輝きが今のわたくしには疎ましい
さっとすぐに日陰へと逃げ込んだ

日陰を彷徨い行く。喉が渇き、水場を求めて小川に着いたとき…なつかしき匂いを嗅いだ
酸っぱいような臭い。人の臭いだ
茂みの中から覗くと…歳の頃は二十か三十の男が水場で顔を濯いでいた。

途端!

ほしい!ほしい!!

と、心が騒いだ

ガサガサガサ!!

心の衝動も抑えきれぬままわたくしは、それに襲い掛かった
突然飛び出してきたわたくしに驚き慌てふためいて逃げ出す男…
どんなにこの地に慣れた者であっても、所詮人。だから、すぐに捕まえられると思った。だが…男はすぐに日に溢れた草原へと飛び出すとそのままいずこかへと逃げ去ってしまった

わたくしは…失意のまま洞穴へと引き返した




男…
わたくしの心を揺り動かしたのは男。男という者を考えると…体が熱くなる
ほしい…
男…ほしい…
男欲しい!!

男…わたくしが、初めて男というものに触れたのは…まだ、幼き頃。胸も膨らむ前の頃であったか…

柊の家の隣には、山吹という家があった
父、柊 恒近と幼き頃からの懇意の家柄でよく遊んだことがあるとも聞いた
そこの、一子。名は確か…為昭。山吹 為昭。
いつだったか…柊の家で、蹴鞠をすることとなり父が呼んだのだ
わたくしは、その時初めて父以外の男に触れたのだ
しきたりでは、男のいる場に女子はいてはならない。けれども、わたくしは父の蹴鞠を見た
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