1.さくら草

寒い寒い冬の時期から、ようやく抜け出た今日この頃
暖かな日差しがやってくる
朝はまだまだ寒さも残るが、昼にはうとうととしたくなるような陽気
そんな日差しに誘われるように草木の蕾が膨らんで
あたたかな日々を待ち焦がれているといった
そんな頃…

とある町…

明け五つ頃とある店の裏手から一人の男が中へと入っていった

「ごめんよ!洗い屋でござい!召し物、腰巻、ふんどしなんでも洗うよ!」
「はーい!」
男が呼びかけると中から、女が出てきた
「あら、ジロさん!これなんだけれど、今日もお願いね」
「あいよ!いつものようにまっさらにしてやんよ」
「頼んだわー」
「いつもご贔屓にしてくださっているんだ。まかせとけ!」
男は、洗い屋であった
名を、次郎
お得意様を回り、こうして洗い物を受け取っていくのだ

「あっ!おみつー?洗い物ないー?ジロさん来てるの!太夫の洗い物ない?」
女が店の廊下に少し見えた少女に声を掛ける
まだあどけなさが残る少女がこちらに小走りでやってきた
「ジロおにぃちゃん!おはようございます!」
「おみっちゃん!おはよう!今日もいい天気だな」
「うん!」
元気いっぱいの返事。それは、“おみつ”と言う名の少女
おかっぱ頭で、赤い着物を着て、帯には握りこぶし位のコロコロと鳴る土鈴を付けている
くりくりっとした可愛い目が印象的な女の子
この店の太夫お付の禿(かむろ)で遊女の作法や接客などを習っていた
いつも明るく元気いっぱいなので、皆からおみっちゃんと呼ばれて可愛がられていた
「んで、洗い物はないかい?」
「うん!ちょっと待ってね?」
とてとて…と店の奥へと小走りに行くと風呂敷に包んだものを持ってきた
「ジロおにぃちゃんお願い!」
「おう!任せとけ!」
受け取った風呂敷を小脇に抱える
そうして、頭を撫でてやる
「よしよし…おみっちゃんも今日一日頑張れよ?にぃちゃんも頑張るからなぁ!」
「やん…撫で撫でしないでよぅ…」
嫌がっているふりをしているけど、顔はまんざらでもない
撫でてやらないとむくれてしまうことがあるから、いつも撫てやるのが次郎の日課だった
「よしよし、おみっちゃんを撫で回したところで俺も仕事に戻るかな」
「もう!おにぃちゃんたらぁ…」
髪を手櫛ですきながら非難を上げるが、その顔は満面の笑み
「ははは、んじゃ。また後でな…」
そう言って、次郎はその店を後にした
おみつの笑顔を見て今日も何かいいことがありそうだと思う次郎だった


お得意様を回って、洗い物を回収
仕事場へと戻ってそれらをよく洗う
すえた臭い、女の臭い・・・いろいろな臭いが染み付いている
いい臭いではないが仕事だと割り切って洗う
遊里の店の場合は人の体液も付いているから念入りに洗ってやる
そして、干して畳んでまた届ける
そんな毎日。けれど、あの遊郭へ行くのは楽しみだった
あのおみっちゃん。いつも明るく元気いっぱいで次郎の心をほんわかとさせてくれるのだ
幼いのにいつも一生懸命。なにがあっても頑張っている姿を見ると、自分も頑張らなければと力が湧いてくる


その日、足どり軽く乾いた洗い物を届けに来ると、女がやってきて言った
「ジロさん。ちょっといい?」
「ん?なんだい?」
「実はね?ジロさんが来たら案内してくれって頼まれているの…」
「ん?どこへ?」
「太夫の所へ…」
「太夫に?」
「ええ。なんでも相談したいことがあるとかで・・・」
「俺にかい?」
「そうみたい。だから、来て?」
「わかった…」

案内される店の中…
柱や壁はところどころ朱色に塗られている
次郎は物珍しくて、キョロキョロとしてしまった
昼はこんなにも明るく開けたように見える
女郎達も、自然な雰囲気でとても男を惑わすような感じではない
気軽にジロさんと声を掛けてくれる様は、どこにでもいる女達に見える
おしろいもこの時間は付けてはおらず、鏡の前で数人で笑いあっている様子や、客からの贈り物で騒いでいる様子などは、年頃の娘たちそのままであった
それが、夜になればあの妖しく、淫靡な雰囲気に様変わりするのだ

次郎は夜の遊里へと来たことは、ない
洗い物を届けるのが遅くなってしまったときに来たのみだ
男の欲望を受け止める為にどことなく顔つきまで変わってしまっている女達
薄暗い行灯の光に照らされて、誘うように、受け容れるように男と交わろうとする様
揺らめく光が影を操り、違う生き物へと変貌させてしまったかのように、その目つきすら変える。
昼の明るく朗らかな顔は、夜には獲物を狙う猫のような目つきで妖しく微笑み嗅いだ事もないようなにおいをその身に着けて、華やいだ衣装を纏っているのだろう
そんな昼と夜の違いに戸惑いを感じ得なかった
商売抜きで誘われたこともあるが…
どうも、その違和感が拭えなくて断ってしまった

そん
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