道教え

 丑三つ時。男は畦道を歩いていた。もうじき消えそうな提灯の灯りで道を照らしながら。
 辺りはとても静かで、聞こえるのは足音のみ、鈴虫の声もまるで聞こえない。夜の闇の中は完全なる虚無なのかとすら男には感じられた。
 ふっ
 そしてついに灯りが消える。すべてが闇に染まり、自らも虚無に包まれてしまった。そんな嫌な感触が纏わりついてくる。このまま呑まれて消えてしまうのではないか──にわかに男の背筋が凍る。
 しばらく、一寸先も見えぬ闇の中を歩き続けていると。
 ぼうぼう
 炎の燃える音が聞こえてきた。先を見ると遠くに提灯の灯りが見える。
──助かった。
 男はそう思いながらやや小走りでその灯りへと近づいていく。きっと人だろう、頼み込めば助けは望める、そんな期待を胸に抱きながら。
 田に落ちぬよう必死に夜目を凝らして走る。
 そして灯りに近づくとその全容が見えてくる。
「ん? なんだあれは?」
 最初は見間違えかと思った。しかし、どう見てもそれは正真正銘の光景だった。
──女の子が……燃えている。
 そう、さっきから見えていた灯りは提灯ではなかった……それは少女の全身に灯った炎だったのだ。
 それはとても珍妙な光景。だが、彼女はいたって落ち着いた表情であり、そこに猟奇的な雰囲気は感じ取れなかった。
「そこの殿方様」
 しばらくぼうっと突っ立っていると、少女が声をかけてくる。男は驚きながらも再び足を動かし、彼女に近づいていく。
 ぼうぼう
 煌々と輝く少女、齢は十ばかりだろうか、とても小さく人形のように可愛らしい。不思議なことに少女に近づいてみても全く熱くない。試しに触れてみても男は火傷一つしなかった。
「殿方様」
「はい」
「灯りをお貸ししましょうか?」
「は、はぁ……」
 どう貸してもらえるのか。なんとも珍妙、とは思いながらも男は首を縦に振った。
「では」
 少女はふわふわと浮き上がり、男の目の前で漂う。男が向く方向を変えると少女はその方向へと移動する。
「ほう、なかなか便利だな」
「ありがとうございます」
 ぼうっ!
「あつつっ!」
 炎が一段と強くなる。
 今度ばかりは熱かった。



 しばらく少女の灯りを頼りに歩いていると、だんだんと見知らぬ道へと迷い込んでしまった。少女を拾った道から我が家までは男にとって馴染み深い道であるはずなのだが、どうしてか知らない森の中へと迷い込んでしまっていた。
「ん? いつの間にか道を間違っていたようだな」
「いいえ、こちらであっていますよ?」
「そんな莫迦な」
「すぐに着くべき場所に着きます。なのでそのまま、私が照らす方へお進みくださいませ」
──なんだかおかしなことになってきた。
──あぁ、しまった。そうだ。何でこんなことをしてしまったのだ。こんな、燃えるおなごなどこの世にいるはずがないだろう。こいつはこの世ならざる者……あやかしに決まっているではないか。どうしてそこに気がつかなかったのかっ──
 しかし、嘆いても時はすでに遅し。もう引き返そうにもここは異界の森。迷うほかないのだ。
 この道の果てには何が待つのか。男は恐れおののきながらも歩き続ける。
 やがて道は終わり、門に突き当たる。それは男が近づくと独りでに開いた。まるで男を迎え入れるかのように。
──これは……宿?
 その先には古い屋敷のような建物。古すぎて人が泊まれるのかどうかも怪しいが、入り口の頭上には『嬉々怪々』と書かれた看板が掲げられていた。宿ではないにしろ、何かしらの商売をやっているのだろうと男は当たりをつける。

「──いらっしゃい──」

 しかし、男を妖艶な声で迎えたのは花魁姿の女──狐の面をつけ、狐の耳を生やしている──どう考えてもここはあやかしの巣窟であるとしか思えなかった。
 逃げ出したい。しかし、そうしようにも後ろにはあの炎の娘がいた。前に進むことも後ろに進むこともできずに男はただただ黙って突っ立っていた。
 しばしの沈黙。
「……『斑猫』ちゃん。お客様は私が迎えに行くっていつも言ってるわよね?」
「うん」
──狐面の女が口にした『斑猫』。それはきっとこの少女の名なのだろう。
「あなたの道案内は危険だし、あの入り口も本当は使っちゃいけないし、何よりも──私のお化粧が間に合わないのよ」
 どうやらこの狐面、この『斑猫』とやらに対して怒っているようである。声は平静だが言葉の端々からは怒りの念がにじみ出ている。
「でも、『玉藻』のお姉さまは仮面をつけてるじゃない」
 狐面はため息をつく。
「お化粧のことはいいとしても、あなたの方法じゃあなただけじゃなくてお客様も危険なのよ──わかってるの? ここは異界なのよ。あなたみたいな半人前の案内で来ていい場所じゃないのよ?」
「そんな危険な場所に俺を連れてきたのか?」
 『斑猫』
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