目の前の川面は橙の灯火で煌びやかに彩られていた。
私はそれを石造りの橋の上から眺める。
「……はぁ」
何となく無性に腹が立ち、その微かに揺れる川面に向かって石を投げつけてやった。
どぽん、と音を立てて川面がぐわんぐわんと揺れる。途端に灯火の橙は夜の闇とぐちゃぐちゃに混ざり気持ちの悪い色合いになる。
何だか見ていると酔いそうになる。私は川面から目を離し上を見上げる。街の灯りにかき消されたのか星は一つも見えない。真っ暗。まるで私の心のように。
「……よし」
そんな暗黒の夜空を見て決心がつく。
欄干によじ登り、天を仰ぐ。下は見ない。見たら決心が鈍る。
「……ふぅ」
呼吸とともに、足を一歩踏み出した。
「……あれ?」
「どうかされましたか?」
目を覚ますとそこは二人乗りの舟の上。目の前には花魁に狐面をつけた女。
「……あれ?」
「もしかして、『自分は死んだはずなのに、何故ここにいるのだろう?』……でしょうか」
「そうそうそれそれ」
いや、納得している場合ではない。
「あー、もしかして、舟の上に落ちちゃったとか?」
下を見ていなかったからな……迷惑をかけてしまった。
「いいえ」
「え? するとじゃあ、川で溺れている私を助けてくれて……?」
いや、だとすると服が一切濡れていないのがおかしい。
「いいえ」
「じゃあ……」
「もうここは半分あの世……異界なのです」
「……うん」
「なんだか薄い反応ですね」
そう言われても、あまり実感がわかない。ようするに、私は半分死んでいるということなのだろうか。
助けてもらったところ悪いが、余計なことをするなと言いたいところだ。
「そのまま死なせてくれれば良かったのに」
「きっとあそこから飛び降りてもあなたは死ねませんでしたよ。ならばいっそこちらに来てもらったほうがよろしいかと思って」
「……」
狐面の女はいやらしく笑う。今にでも逃げ出したいくらいだが、何故か舟から飛び降りようという気が起きない。その間にも舟は独りでに進んでいるというのに。
「大丈夫ですよ、怖がらなくても。何もあなたを取って食うわけじゃないんですから」
怖がっているわけではない。いや、怖がっているのか。私が見ているのは取って食わけれる結末などではなく、取って食われるよりも恐ろしく終わりの見えない絶望に包まれた結末である。もしかしたらこのまま何者かの奴隷になり、死ぬまで過酷な労働を続けなくてはならない、そんな結末も待っているのかもしれないのだ。
「さて、着きましたよ。大丈夫です。この先、待っているのは可愛らしい娘たちだけですから」
舟は古びた屋敷の前でごとりと音を立てて止まる。なんだか寂れてて薄汚くて気味が悪い屋敷。
「……ついてこないんですか?」
「そりゃあ、そんな怪しい屋敷に入る莫迦はいないだろう」
「ふぅん……でも、もうここまで来てしまってはあの屋敷に入るほかありませんよ?」
確かに、ここは小島のように陸から切り離されていて独立──いや、孤立している。
「ならばこの舟を使って帰る。漕げばいつかはどこかにつくだろう?」
「お試しになってみては?」
無駄だった。オールがびくともしない。妖術か何かで固定されているようだった。
「……嘘だろ」
「うふふ、さぁ、行きましょう」
「あっ、ちょっと、待って」
私は女に手を引かれ、屋敷の中へと足を踏み入れてしまった。
中も外見と同じく古い。普通に歩くだけでギシギシと音が鳴り、今にでも崩れ落ちてしまいそうだ。
「……ここはどこなんだよ」
「直にわかりますよ」
手を引かれるまま廊下を何回か曲がり、とある襖の前で止まる。
「『桜』、あなたにぴったりのお客様よ」
狐面の女はそう言って襖を開ける。
「ん、わかった」
そこにいたのは銀髪褐色の異国の女。綺麗な顔立ちだが、どうにも乱暴な印象が強く見える。豪華な着物を着ているがしかしそれが絶望的に似合わない。第一着物を着て大胆にあぐらをかいている時点でおかしい。下着を着けていないようで中身は丸見えなのだが色気というものが全く感じられない。
多分、ここは娼館か何かなのだろうけども……この『桜』という女は相手を誘う気があるのだろうか?
現に彼女は私には一目もくれず。
「かりっ、こりっ」
ただただ壺の中に入った小さな骨をかじり続けている。
「あ、私嘘言いましたね……もしかしたら食べられちゃうかもしれないので、お気をつけて」
「え?」
背を押され、中に一歩踏み出すと襖は閉まった。
「……」
「……まぁ座れや」
壺を挟んで彼女の向かい側、私はそこに同じようにあぐらをかいて座る。
「……」
「食うかい?」
「……何の骨なんだい、これは」
まさか人の骨とか言わないよな……
「鶏の骨だよ。味付けされてるし不味くはねぇよ」
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