黒髪の処女

 きこ……きこ……
 僕は小さなボートに乗って夜の川を下っている。そこは繁華街といった感じの下品なほど橙に眩い建物の群れに挟まれていて、ギラギラと写る灯りが水面で揺れなんだか酔いそうになる。
「どうかいたしましたか? 水面なんておのぞきになられて」
「いや、ぼーっとしていただけさ」
 向かい側に座る花魁姿の狐面の女が話しかけてくる。さっき街を通り過ぎる時にこの女に呼び止められ、こうしてボートに乗せられているのだ。
「可愛らしい娘、いっぱいいますよ……こちら側に来てみませんか?」
 そんな誘い文句だったか。普段ならそんな怪しい──妖しい言葉になんて誘われないのだが、何故だかこの女の声には惹かれてしまったのだ。
「ぼーっとするだなんて……お疲れなんですね……大丈夫ですよ。すぐそんな疲れなんて忘れてしまいますから」
 妖しく、笑う。狐面を着けていてもいやらしい笑い方だとすぐにわかる。
 先ほどから気がついてはいたが、どうやらこの女は人ならざる者らしい。正確にはボートが進み始めてから、か。何故ならば、僕と彼女が乗った途端にボートは誰の手も借りず勝手に漕がれ始めたのだから。きっとこの女は妖術使い──いや、もしかしたら狐そのものなのかもしれない。
「君は何者なんだい?」
「わかっているのでしょう?」
 またまた妖しく笑う。これ以上聞くのは無駄だろう。そう察して僕は押し黙ることにした。
 きこ……きこ……こと
 やがて誰も手をつけていないオールが、ピタリと止まった。
 見ると岸部にはぽつんと一つの大きな建物が立っていた。
「さて、着きましたよ。ここが遊郭『嬉々怪々』です」
「ここが……?」
 なんだか思ったよりも地味だ。周りは乱痴気じみた飾りを施しているのに、ここだけはそれをしていない。
 ボロくて、暗くて、古い。そのまんまの木造の屋敷。
「男女の交わりに必要なものは綺麗な建物なんかではありません」
「それもそうだが」
 じゃあ何なのだろうか。
「行けばわかります」
 彼女が手を出す……繋げというのだろうか。
 正直行きたくないが、乗りかかった船。僕は意を決して彼女の手を取った。


「あなた、どんな子がお好きなのかしら?」
 ギシギシと軋む薄暗い廊下を歩きながら彼女はそう聞いてくる。
「ん……」
「ふふふ、冗談ですよ。全てお見通しですから」
「はい?」
 やはり妖術でも使ったのだろうか。
 いや、しかし、自分でも好みの女性なんてよくわからないのだが……
「『美夜』、あなたにぴったりのお客様よ」
 女は立ち止まり、一つの襖を開ける。
 その部屋の中には。
「……」
 大きな黒い物があった。ろうそくで照らされたそれはなんだか化け物のようにも見えた。
「? あれは、人間なのか?」
「少し恥ずかしがり屋なのですよ、美夜は。でも御安心を。ちゃんと中身は綺麗な女の子ですから」
「は、はぁ」
「あ、あと一つ……あの子は初物です。きっととても可愛らしく鳴いてくれますよ」
「ぅえ?」
 とん、と背中を押される。僕は思わず前へ一歩踏み出す。
「あ」
 慌てて振り向くともう襖は閉まっていた。
「……」
 改めて、彼女……美夜を見てみる。
 何だこれは。本当に人間には見えないぞ。
「……あ」
 しかし、近づいて見てみると、黒く見えるのは長い髪の毛のようだ。どうやら長い髪の毛の持ち主がそこで小さく縮こまっているらしい。
 小さく……いや、でもそれにしても小さすぎやしないか?
 僕はしゃがみこみ、顔を近づけてみる。
……あぁ、おなごの香りだ。
 失礼を承知で、彼女の髪を両の手で開帳する……なんだかとても良い触り心地だ。
──そこには、人形のように美しい少女の顔があった。
 ん? 少女?
「えぇと、一つ聞いていいか」
「はい」
「君、歳はいくつかね?」
「九」
「……」
 あの女には僕が少女愛好家、いや、少女性愛者にでも見えたのだろうか。
 まさか九つの少女を仕向けてくるとは……
「……すまない」
「? どうしたんです?」
「決して冷やかしに来たわけではないんだがな……今日は帰らせてもらう」
「! な、何でですか!?」
「い、いや、流石に年端も行かぬ少女と交わるのは……」
「……」
「君もどうしてこんな所で働いているんだい? 君の歳ならもっと他にする事が……」
「したい事なんて……ないですよ」
「だ、だとしてもだな」
「……」
 彼女はすっと立ち上がる。衣服は纏っていない。纏うのは美しい髪。
「触ってみてください」
「はい?」
「いいから触ってみてください」
「いやいやいや」
 しかし、僕が後込みしていると、彼女は僕の手を取り無理やりその薄い胸板を触らせた。
「!」
「私の体……小さくても『女』でしょう?」
 薄い胸板、だが女特有の柔らかさがある。かすかに胸も膨らんで
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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33