10泊目 『巡り合わせ』

「なっ!?」

衝撃を受けた。

「こ、『寿退社』!? イネスが!?」
「うむ。彼女、嬉しそうだったぞ」
「マジかよ……」

俺は今、豆狸が贔屓にしている卸問屋にいる。
今回ここに足を運んだのは食材の調達ではない。
先日ホノカから慰安旅行計画責任者として抜擢(強制)されてしまったため、相談に乗ってもらおうと受付嬢のイネス(キキーモラ)を訪ねたのだが……

「君は彼女を大層気に入っていたからね。気持ちはわからんでもない」
「い、いや…別に気を遣ってもらわなくでもイイですよ、『リリィ社長』。彼女が決めたことなら、俺がどうこう言う筋合いはないですから」
「ほう? なかなか潔い男だ。その姿勢、嫌いじゃないぞ」
「あざーす」

まぁこればっかりは仕方がない。
それに『社長』自らが出向いてくれたのだ、あんまりぶーたれるのも失礼だろう。
まぁ、イネスを堕とした野郎は気になるが……。

「そういうわけで、新しい受付嬢を手配した。早速紹介しよう」
「あ、はい」
「………」
「………」

……?

「あの、社長? 新しい受付嬢って……」
「ふふ、しばらくは私自らが受付業務をこなそう。よろしく頼む」
「は、へ?」

社長が……問屋の受付業務?

「む、私では不満だろうか?」
「へ…い、いやいやいや滅相もない! ただ、なんで社長が……」
「社長という立場はなかなか退屈なものでね。たまには初心にかえってみるのも悪くない…そう思っただけだ」
「は、はぁ」
「可愛げのないグラキエスだが、存分にコキ使ってくれ♪」
「っ……」

………。
可愛げがない?
それは自分を過小評価し過ぎですよ、社長。












旅館ロビーにて。

「……ってことがあった」
「はわー、あのリリィ社長が受付っすかー。これは驚きっすー」
「一応ホノカに代わって挨拶はしておいた。お前もそのうち会いにいけよ?」
「そうするっすーノ 社長が働いている姿も見てみたいっすからねー」

案の定ホノカも驚いた。
あの社長が何を考えているのかは良くわからんが、まぁ現場視察に来たとでも思えば納得できる。
それでもかなり奇天烈な事態であることに変わりはないが。

「んー、やっぱ社長が直に働きに出るっつーのは珍しいんだな」
「引く手数多の社長っすからねー。本来ならー問屋の受付やってる暇なんてないはずっすよー」
「え、そんな大物だったのか? てっきり卸問屋だけで商売してんのかと思ってた」
「ほむー、クロさんの世間知らずっぷりも考えものっすねー。『アースコルドの大豪商』と言えばーさすがにわかるっすよねー?」
「ば、ばかにすんな! 世界でも5本の指に入る大商人の1人だろ?」
「そっす。ちなみにー社長の本名は『リリィ=ヴァニラス』、氷の精霊『グラキエス』っす」
「それは知ってる」

ふむ…そうなると気になることがもう1つ。

「というか、そんな大物相手に良く食品の取引にまでこぎつけたな」
「あーそれなんすけどー……」

言葉を濁すホノカ。
まさか…汚い手を使ったとかじゃないだろうな?

「今失礼なこと考えたっすねー?」
「バレタカ」
「こほん。期待を裏切るようで申し訳ないっすけどー、取引しようと話を持ちかけてきたのはーリリィ社長なんすよー」
「ぇえ!?」

本日2度目のサプライズ。

「創業10年そこらの旅館相手にか? 物好きな社長さんだブフッ」
「旅館への暴言は厳罰っすー。尻尾で叩いちゃうっすよー?」
「いや、もう既にやられたんだが」

相手さんから商売の話か。
なーんか裏がありそうだ。

「理由は聞いたのか?」
「先方の気分を害する恐れがあるっすー。余計な詮索はできないっすよー」
「あぁ、そりゃそうか」

うーん…旨い話には気をつけろと言うが、今回の場合はどうなのだろうか。
得体の知れない取引先ならともかく、相手はあの大豪商の1人だ。
そもそもリリィ社長と取引を始めたのは、もう5年以上前のことらしい。
今更理由を求めたところでなんの利益にもならないだろう。

「まーそゆことでーリリィ社長には随分とお世話になってるっすよー」
「ふーん?」

大統領の件もそうだが、ホノカは本当に色々な人に助けられながら商売をしている。
才能があってもそれを生かせない…そんな奴が、この世の中に一体どれだけいるのだろうか。
ホノカは、恵まれている。
そんなこと、こいつも先刻承知のはずだ。
だからこそ直向きに商売ができるのだろう。
………。
婿になれと婿になれと普段から連呼されている分、そういった真面目な部分が見えづらいのだが。

「………」
「? クロさん?」
「ん、あぁ思い出した。慰安旅行の件、なんとかなりそうだ」
「はわ! 本当っすか!?」
「おう」



リリィ社長が問屋に来てくれたのは幸運だった。
彼女に旅行の件を
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