これでもかというくらい、大きく口を開けてあくびをする。フラストレーションはあくび一つじゃ解消されない。ため息と小さな舌打ちと、貧乏ゆすりも一緒にやってみたところで、大した効果は得られない。
「さ、さ、佐野くん。ず、随分眠そう、だね……?」
隣の席に座る根暗なケンタウロス――水口秋――がどもりながら話しかけてきた。彼女は普段は無口で、話しかけてもびくびくおどおどと今みたいにどもりながら話す。
「授業中、寝ないようにしたからね」
「そ、そ、そっか……それは偉い……とボクは思うな、うん……」
「……どうも。そういや、水口は授業中寝てるとこ見たことないね」
「えっ……と、と、ボクはその……ちゃんと二人分ノート取っておかないと、さ、さ、さ、佐野くんが困るだろうから」
水口は机の中から表紙の少しよれたノートを引っ張り出して見せた。彼女はいつも一日の授業が終わると俺にこのノートを貸してくれる。授業中寝てばかりの俺を気遣って、授業が終わるとノートを俺の机に置いて、写すように言ってくる。
「俺、別に水口にノート取れって言ってないだろ? ……確かに助かってるけどさ」
自分が情けなくって、つい、水口に当たってしまう。
「あ、ご、ご、ごめん……そういうつもりじゃなくって……」
「いや、いいよ……」
これ見よがしにため息をつくと、水口は半泣きの顔をさらに絶望的なまでに歪めた。苦笑しながら、なるべく優しい口調で話す。
「授業中寝る俺が悪いんだし、ほっといてくれていいよ。……というか、ほっていてくれないかな」
「でも、佐野くん、りゅ、りゅ、留年しかねない……よ?」
「水口が俺の代わりにノート取る理由にはならないだろ」
きっぱり言うと、水口はしょんぼりと肩を落とした。
「余計なおせっかい……っていうかさ」
「えっ……」
「後になって水口に迷惑だったって思われるのいやだから、やめてくれよ」
水口は文字通り絶句した。口をパクパクとさせる以外には石像のように固まった彼女を尻目に、机の横に下げた鞄から次の授業で使う教科書とノートを取り出す。どれも使用感がなく、新品同様と言ってよかった。
パラパラと捲って流し読みをする。授業では既に四十ページも進んでいたらしいが、どれも読んだ覚えがない。それでも内容が理解できるのはひとえに水口のおかげなんだろう。これからは自分でしっかりとこなさないとならない。ため息が出る。
ふと、しゃくり上げるような声がした。一瞬、喉元から鳩尾にかけて冷え切った吐き気のような感覚がして、背中を冷や汗が濡らした。
「あ、あの……水口」
慌てて隣の席の方を見ると、彼女は背中を丸めて顔を手で覆って泣いていた。
「ひっ……く……ごめんね、佐野くん……ごめん……迷惑だったよね……うくっ……」
「あ、いや……その……」
弁解するより前に、女子がわらわらと俺と水口の席の周りに集まってきた。
「水口さん、どうしたの? 大丈夫……?」
「佐野ー、水口さんに何したの?」
彼女たちの口調こそ穏やかだったが、俺を責める気が満々なのは容易に分かった。
「えー、いや、ちょっと……なんでもないよ」
「なんでもないってことないでしょう。かわいそう……コイツに何されたの? セクハラ? 今叩きのめしてあげるからね」
そう言って握り拳にはーっと息を吐く彼女を、水口は慌てて制した。
「違う、違くて……佐野くんは悪くない……ボクが……うっ……ひっく……悪いの……」
その水口の台詞はむしろ、ますます俺を責める空気を強くしたようだった。
悲壮感たっぷりに流れる水口の涙に、周りの女子だけでなく教室でたむろしていた男子も何事かとこちらを窺う。多くは非難の目を向けている。頭を抱えてうずくまりたかった。
いいタイミングで、いや、最悪のタイミングかもしれない。始業のチャイムが鳴った。
大半の飽きっぽい生徒はもう面白いことはなさそうだ、とめいめい授業の支度を始めた。周りの女子は「覚えてなさいよ」と悪役のような捨て台詞を残して席に戻っていった。
「佐野くん、ホントにごめんね……」
ゴシゴシと涙を制服の袖で拭って、水口は無理やりに笑顔を作った。目の周りは少し赤くなっていて、言い過ぎたな、と思った。
「いや……こちらこそ」
教師が教室に入り、号令の後、大抵の生徒にとって退屈な、授業が始まる。
横目で水口の方を見ると、ノートを二冊広げて丁寧に板書を写していた。
一体誰のために?
彼女の心遣いがつらかった。親切でやっていたことを余計なおせっかいと言われたのに。周りに分からないように、自嘲的な苦笑を漏らす。
今まで言い出せずに、"余計なおせっかい"に甘えてたのはどこの誰だったろう。
「……水口」
小声で彼女を呼ぶ。びくっと少し身体を跳ねかせて、おどおどと俺の方を向いた。
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4 5 6..
8]
[7]
TOP[0]
投票 [*]
感想