月明かりに照らされた夜の海。
崖の下にからは冷たい波打ちの音だけが聞こえてくる。
そんな闇の海を、崖の上から覗き込む子供達がいた。全部で十数名、少女がほとんどだが男子も数名混じっている。破れかけた汚い服を着て、十歳かそこらの子供たちは崖の淵へと歩みだす。その虚ろな瞳は金色の満月さえも写していない。誰もが崖を飛び降りた先にある『自由』を求めていた。
溺れるのは苦しいだろう。冷たいだろう。だがそれさえ我慢すれば、もう苦しまなくて済む。
しかし。
「……そんなことをしたって、楽にはなれないよ」
突然背後から聞こえた声。子供達は一様に息を飲んで振り向いた。ああ、追っ手が来たのだ。せっかくここまで逃げて来たのに、また苦痛の人生へ連れ戻されてしまう。
だがそこに立っていたのは追跡者ではなかった。夜でも目立つ派手な服を着た道化師……場違い極まりないおどけた雰囲気の男だ。白いメイクが非人間的なまでに施されたその顔に、子供達は得体の知れない恐怖を感じた。
「死のうとしているのに俺が怖いかい? そいつはおかしい」
道化師が一歩歩み寄ると、子供達はたじろいだ。だがその中から一番年上らしい、と言っても十二、三歳程度の少女が進み出た。端正な顔立ちで、虚ろな瞳に僅かな勇気を宿し道化師を睨みつける。
「わたしたちはもう、誰の言うこともきかない!」
力を振り絞り、震える声で少女は叫ぶ。煌煌と照る月明かりによって、白い頬に痛々しい痣があるのが分かった。彼女が、彼女達が今までどのような暮らしをしてきたのか、何故死を求めるのかは想像に難くない。今頃彼女達の主人が、逃げ出した奴隷を探しているのも間違いはない。
だが道化師はそんな子供たちを取り押さえようとも、止めようともしなかった。ただふざけたようなメイクの顔で、左右に首を傾げながら笑うだけだ。
「君たちが自分の意志で死にたいのなら止めはしない。俺は今まで、生きていたいのに死んでしまった人を沢山……そう、沢山見てきたからね」
指を折って数を思い出すような仕草をしながら、道化師は左手を前に差し出す。子供達はまたたじろいだ。さっさと崖から飛び降りてしまえば全てが終わるのに、見慣れない道化師の存在に圧倒されている。
「この辺りの海は意外と水が浅いし、底は尖った岩に覆われている。この高さから飛び降りれば頭を打って……確実に死ねるだろうさ」
喋りながら、道化師は左手の上に白い布をかざした。種も仕掛けもないと言うかのように裏と表を見せたかと思うと、布で左手を隠すようにしてさっと振る。
次の瞬間。空っぽだった彼の掌には純白の皿と、湯気を立てる料理が乗っていた。
「でも、ただ死ぬんじゃつまらない。見ている俺がね」
子供達は一斉に息を飲む。道化師の持つその料理は、一見ただのキノコのソテー。だがその匂いは素晴らしく濃厚で、子供達の荒んだ胃を刺激するのに十分だった。リーダーらしい少女も身を震わせ、後ろの子供達も小さな口元から唾液まで垂らしている。皿から立ち上る湯気が、この世の物とは思えない美味を想像させるその匂いが、たまらなく愛おしい。
単に彼女達が飢えているからではない。その香りは彼女達が求めていた『死』の匂いそのものなのだ。
「一人一個ずつ、ちゃんと分けて食べるんだよ。何せ貴重な品だから」
道化師が皿を差し出すと、リーダーの少女がおずおずと受け取った。彼女は胸の高鳴りが傍目にも分かるほどにそれを欲していたが、まずは自分ではなく仲間達に与える。少女も少年も手を伸ばし、こぞってそのキノコを口へと運んだ。誰もが夢中で咀嚼する。天に昇るような味わいに身を震わせ、退廃的にさえ見える笑顔を浮かべた。先ほどまでの絶望的な姿が嘘であるかのように、幸福感を周囲に漂わせていた。
やがて、子供達に変化が起きはじめた。キノコ飲み下した者から順に目を閉ざし、その場にばたりと崩れ落ちていく。一人、二人……恍惚とした表情のまま倒れ伏し、そのままぴくりとも動かない。
最後にキノコを食べた年長の少女に、道化師は歩み寄った。
「美味しいかい?」
仲間達が次々と倒れていくのにも関わらず、少女は口の中のキノコを飲み下し、幸せそうな顔で頷いた。頬の痣さえ気にならなくなるような、幸福感にとろけた笑顔だ。道化師は彼女の頭をそっと撫でる。
「それはよかった。その味をよく覚えて……死ぬといい」
次の瞬間、少女は糸の切れた人形のように倒れた。仲間の上に折り重なり、体から血の気が引いて行く中で、彼女の口が動いた。
「あ……り、が…………」
辛うじて言葉になったその声を最後に、少女は目を閉ざす。辺りはまた静寂に包まれ、波の音だけが響いた。
……道化師は顔を上げて、黄金色の月を仰ぎ見た。その顔に感情は
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