焼き上がりを待つ時間。最も心躍ると同時に、もどかしい時間でもある。上手く焼けてくれるか気になっても、一度かまどに入れたパンはどうすることもできない。今まで磨いて自分の腕を信じ、じっと待つしかないのだ。
今頃戦局はどうなっているのだろうか。ヅギさんは昨日から咳をしていたが、大丈夫なのだろうか……そんなことを考えてしまう。そして今礼拝堂で産まれようとしている、新しい命のことも。それを助けるため頑張っているポリーヌのことも。
パン作りの行程を脳内でざっと繰り返し、失敗がなかったか考える。俺は当然自分の腕に自信を持っているが、今回は今までのパン作りと感覚が少し違った。作っている最中、やはりポリーヌを連想してばかりいたのだ。彼女の肌のように柔らかな白パンを、今朝のキスのように甘い蜂蜜パンを……そんなイメージでパンを作っていた。それが『インスピレーション』なのか『邪念』なのかが不安だが、それはパンの出来を見てから決めるしかない。
「……俺、私設軍に恋人がいるんです」
作業を手伝ってくれていたシャルル君が、ぽつりと呟いた。
「デュラハンっていう魔物で、魔王軍義勇兵の隊長で……多分今、戦っているでしょうね」
「それは心配だろうな」
彼は頷いた。心配するに決まっている。信じているから大丈夫だ、などという台詞はなかなか言えるものじゃない。戦場は人がホイホイ死ぬのだから。
「俺が故郷で食い詰めてここに流れてきてから、いろいろな人にお世話になってます。俺を拾ってくれた店長と奥さんにも、最初に友達になってくれた彼女にも」
次第にしっかりとした口調でシャルル君は言う。彼の言葉のアクセントには辺境の訛りが含まれており、本人が言うように食い詰めた田舎者のようだ。彼もまたある種のワケ有りということだが、この町で自分の未来を見つけられたのだろう。パン作りを手伝ってくれている際、立派に職人の目をしていた。
「みんな、かけがえの無い存在です」
「俺も旅してる中で、いろいろな人に世話になったよ。この町でも……もうかけがえの無い人と出会ってね」
昨夜、ポリーヌの優しい声に操られ。今朝、甘いキスで蹂躙され。
俺はあの悪戯好きのラミアに夢中になっている。彼女が俺にあんなことをするのは単なる悪戯心か、それとも別の何かか。まだ魔物のことをよく知らないため、彼女達の恋がどのようなものかピンとこない。ただ昨日ヅギさんから聞いた話だと、魔物の恋には二種類あるという。恋に落ちてセックスする魔物と、セックスを通じて恋に落ちる魔物だそうだが、もしポリーヌが後者ならば……
「見た目だけじゃなくて、いろいろな意味で不思議なもんだよな。魔物ってのは」
「付き合ってみると、それが面白いですよ」
「確かに」
……そんな会話をしているとき。
あの鐘の音が響いた。領主邸からの緊急連絡だ。厳かな音色に自然と体が引き締まり、耳を傾ける。内容は想像できるが、それが良い知らせか悪い知らせかは分からない。ただ一つ確かなのは、どうなろうとこの町から逃げる気はないということだ。
やがて、音の中に声が生じた。
《領主邸より連絡。我が私設軍は教団の軍勢に甚大な損害を与え、撃退しました。これより戒厳令を解除します――》
「勝ったのか……!」
「勝ったんですよ……!」
俺は一瞬安堵したが、ヅギさんが無事に帰ってくるかはまだ分からない。シャルル君もまた、どこかそわそわした様子だった。
そしてかまどから漂ってくる芳ばしい香り。懐中時計を見て、パンが焼ける時間だと確認した。
「カノジョの様子を見てきなよ。パンを持って行きな」
「あ、いや、でも……」
「コルバさんには俺から言っておくよ」
言いながら、かまどからパンを取り出した。焼きたての香りを惜しげも無く放つ純白のパン。そして甘い香りをはらみ、こんがりと焼けた蜂蜜パン。どちらも神々しいまでの美しさを放っており、俺は成功を確信する。シャルル君も隣で感嘆の声を上げていた。俺は熱々のパンを数個籠へ盛って、彼に渡してやる。
「カノジョさんによろしくな」
「……はい! ありがとうございます!」
丁寧にお辞儀をすると、シャルル君はパン籠を抱えて工房から飛び出して行った。俺も少年時代に恋をしていたら、あんな風になっていたのだろうか。今のやりとりがフラグになっていないことを祈りつつ、パンに意識を戻した。
白パンを一口分千切り、中のキメの細かさを確認する。口に含んでみると芳ばしさが広がり、舌触りも完璧だ。この分なら冷めても美味いだろうし、最高の出来といっていいだろう。
これなら自信を持って店に並べられる。後はパンの作り方を子供達にも教えてやらなくてはならないが、まあ大丈夫だ。子供の方が飲み込みが早いこともあるし、みんなパン
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4]
[7]
TOP [9]
目次[0]
投票 [*]
感想[#]
メール登録