「上がれ……!」
スロットルを開き、急発進。最高の短距離離着陸性能を持つシュトルヒでも、このような状況では機首が持ち上がるまでの時間がかなりもどかしく感じた。頭上をドラゴンが旋回し、エメラルドのような鱗を煌めかせながら降下してくる。シュトルヒより遥かに大きい、アメリカ軍の大型爆撃機並の体躯。それが航空機よりずっと俊敏に、獰猛な雄叫びを上げながら迫ってくるのだ。
後ろを見ると、ぎらつく双眸が間近にあった。重々しい爪が振り上げられる。
ようやく、車輪が地面から離れた。機体が震動しているのはドラゴンの起こした風圧のせいだと分かる。巨木を一撃で粉砕できそうな爪が、我が機の背後で空を切ったのだ。
離陸に成功はしたものの、飛び上がったところで危機的状況には変わりない。少なくとも離陸前に殺られるという最大の屈辱は回避できたが、所詮私は狩られる側だ。冷や汗をかく暇すらない、機首を上げて上昇。フラップをたたみ、エンジンを全開にする。
ドラゴンも追ってくる。方向転換の角度からして、降下した後地面を蹴って飛び上がったのかもしれない。生物だからこそできる機動だが、関心している場合ではない。
「機銃、撃て!」
私一人しか乗っていないことも忘れ、そう叫んでしまった。このシュトルヒの武装は後部に据え付けられた防御用の機銃のみ、それも同乗者がいなくては撃てない。それにあの機銃の威力では仮に撃てたとしても、そして運良く当たったとしても気休め程度にしかならないだろう。むしろ余計に怒らせるだけかもしれない。
結局は戦闘機相手の逃避行と同様、この足の遅いコウノトリで必死に逃げるしかないのだ。突然の襲撃に動揺はしたが、回避のため蛇行飛行を始める。今のところしつこく追ってくるだけのようだが、火を噴く程度のことはするかもしれない。
「くっ!?」
考えた側から、背後で紅蓮の炎が光った。即座に操縦桿を倒し、急旋回。
すぐ横を眩しい火炎放射が通り過ぎた。熱波で視界が歪み、炎によって生まれた風が軽い機体を煽る。
洒落にならない。
炎は百メートル以上先まで届いていた。しかもこれが奴の本気だと言う保証は無い。あれをまともに食らえば、シュトルヒ如きではひとたまりもないだろう。
この世界に来て初めての空戦の恐怖。本物のドラゴンを前にしているという興奮。敵の接近に気づけなかった自分への苛立ち。様々な感情が去来するが、それらをじっくりと考えている場合ではない。
ドラゴンが速度を上げた。しかし低速を逆に武器にするのも技術、スロットルを一気に絞り急制動をかける。ガクンと速度が落ちたその瞬間、ドラゴンが機体の下を通り過ぎた。奴の起こした風圧を利用し、機体を失速寸前でふわりと浮き上がらせる。
その一瞬の間だけ、私はドラゴンの後ろ姿を正面に捉えることができた。一言で言うなら、美しい。力と勇気を象徴するような造形、獰猛な雄叫び。航空機とは違う、生命あるものの美しさと力強さが凝縮されているように感じた。英雄ジークフリートやベオウルフなどはこのような存在を相手に戦ったのか。
スピードの乗っていたドラゴンは私からかなり離れたところで旋回するが、私はその前に機を反転させていた。高度は私の方が上となり、ドラゴンが斜め下から襲ってくる。火炎放射が来るものの、奴の口腔に炎が見えた瞬間に横滑り機動で回避。全方向への見張りを厳にするのは空戦の鉄則だ。
続いて急加速して突っ込んできたドラゴンを、機首を下げて避ける。相手は再び私を追い越した。
奴は頭は悪いようだ……逃げながら、私はそう思った。あるいは正気を失っているのかもしれない。私の通った軌道を馬鹿正直に、力任せに追ってくるだけで、こちらの未来位置を予測しての先回りや偏差射撃などの戦術を使ってこない。経験の浅い戦闘機乗りの戦い方とよく似ている。ならばまだ付け入る隙はあるというものだ。
一先ずこいつを町から遠ざけ、そこで振り切る必要がある。そして近くに丁度良い地形があった。
「……あそこに逃げるか」
狙いを定めたさきは、川のながれる山の谷間。飛行機がギリギリ飛び回れる幅の隙間である。中は曲がりくねっているようで、私のシュトルヒだけでなく、それより遥かに巨大なドラゴンにとっても通り抜けるのに苦労することだろう。しかし私は幾度もこのような危険きわまりない手段で生き延び、時に敵戦闘機を返り討ちにしてきた。
仮にやられたとしても、先に逝った戦友たちにいい土産話ができる。私の魂がヴァルハラへ行けるのなら。
「ついてこい! 私の笛が聞きたいか!?」
私は全速力で峡谷へと突っ込んだ。ドラゴンは何かに憑かれたかのように猛追してくる。
空戦とは追う方にも危険がつきまとうものだ。自分の優位を過信し、状況も顧みずに深追いし
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