第八話 『嬉し泣きをお裾分け』

 カーリナたちを助けるのに時間を使ったため、日がすでに傾きかけていた。そうでなくても洋上飛行というのは神経がすり減る。山に衝突する心配は無いが、常に自分が本当に正しい方向へ飛んでいるのかという不安に襲われるのだ。私ほどの操縦士でも時折そのような錯覚に苛まれるが、計器や太陽の位置を確認し、下手に進路を変えないことが大切だ。幸い私が以前から使っていた腕時計型のコンパスなどはこの世界でも正常に動く。後は何度もこの海峡を自力で往復しているという、レミィナの経験を頼るべきだろう。
 それにしてもこの海は地中海によく似ている。地図を見た限りは同じように陸に囲まれた海であり、レミィナ曰く教団と魔物の勢力が入り交じる混沌とした地帯とのことだ。貿易上重要な一体でもあるため、古来よりこの海を狙う多くの権力者や魔物、それらに歯向かう民衆などによる抗争が絶えなかったという。

「エスクーレという町ですが、飛行機で乗り付けたら大騒ぎになりませんか?」

 今更ながら訊いておくことにした。いくら親魔物寄りの町だからと言っても、いきなり見慣れぬ乗り物が空からやってくればパニックになるだろう。初めてこの世界に来たときは燃料切れから町中に不時着したが、あのような騒ぎを毎回起こしたくはない。

「旅の魔物が利用する民宿があるの。町外れだからそこに降りれば目立たないよ」

 シュトルヒが着陸するだけのスペースはある、とレミィナは付け加えた。話を聞く限りではルージュ・シティほど人間と魔物が入り交じって暮らしているわけではなく、魔物用の隠れ家のような宿も存在するようだ。

「なるほど。そこに泊まるのですね」
「うん。寝床だけだけど、晩ご飯は美味しい店がいくらでもあるから大丈夫」

 滑らかな声で彼女は言う。確かにこれだけ奇麗な海があり、その上貿易の重要拠点であるのだから食事は期待してもよさそうだ。「昼食をしっかり食べて朝食と夕食は軽め」というライフスタイルのドイツ人としては、昼前に着きたかったところだが。
 沈み行く太陽が、海を赤く染めていた。私の世界のと同じ、神々しく切ない美しさ。それも陸からではなく、海の上空という特等席から眺めるのだから感慨も大きい。飛行機乗りになってよかったと、心の底から思う瞬間だ。

 ちらりと後ろを振り返ってみると、レミィナは愛用の懐中時計を布で拭いていた。文字盤が太陽光を反射して幻想的に輝いている。

「大事になさっていますね」
「子供の頃、大切な人からもらったの」
「逆回りには何か意味が?」

 何気なく尋ねているうちに、陸が見えてきた。夕日の中で目を凝らし、緑に覆われた岬と、その先に見える広大な港町を確認する。まだ遠いが、ルージュ・シティよりも港の規模は大きいようで、大型の帆船らしきシルエットも多数見受けられた。

「んふふっ……そのうち教えてあげるよ」

 レミィナが悪戯っぽく笑った瞬間、操縦桿に僅かな抵抗が感じられ、機体が揺れた。ペダルを僅かに踏み、操縦桿も微調整する。風が渦巻いているようだ、軽い機体なので流されないようにしなければ。


 陸地に近づくにつれ、町の様子がはっきりと見て取れるようになってきた。やはり地中海のそれに似た美しい町並みに、港に並ぶ多数の帆船。教会のような建築物も見受けられる。海鳥がいないか注意しつつ、レミィナが指示した着陸地点を目指し降下していく。

「……『あれ』が宿ですか?」
「そう。結構シャレてるでしょ」

 レミィナがそう評した『民宿』というのは、どう見ても座礁したガレー船だった。帆布はボロボロに破れ、長い間野ざらしにされていたことが上空からでも分かる。全長は五十メートルはあり、往時にはさぞかし立派な船だったのだろう。傾いた船体は一応碇やロープで固定されているようで、陸地から桟橋がかけられている。

「なるほど、いつ海の藻屑になるか分からないというスリルが味わえそうだ」
「ああ見えて魔法で防水されているから平気よ。嵐にも何度か耐えてるし」

 魔法というのは何かと便利らしい。とりあえず私は上空を旋回し、着陸態勢に入った。下は起伏の少ない岩場で、シュトルヒの脚なら問題なく降りられるだろう。後は海鳥との衝突にだけ注意すればいい。

「揺れるのでご注意を」

 姫に注意を促しつつフラップを降ろし、風下から低速で滑り込むように侵入。
 接地。直後、岩場の凹凸で機体がガタガタと揺れる。不整地への着陸にも耐えうる設計だが、やはり何度やっても緊張するものだ。後ろに乗っているのが女性だと特に。
 しかし向かい風ということもあり、ほどなくして速度は落ちた。ゆっくりと静止。

 息を吐き、緊張が解れる。なかなか上手く着陸できた、自己評価で八十点くらいはつけていいと思う。難破船の方を見ると、甲板から何人かの女性がこちら
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