第一話 『わたしたちの世界へようこそ』


 ……閉じこめられた……


 ……この空の中に、この操縦席の中に……


 ……私にはもう、守る物などない……


 ……いや大丈夫だ、まだ飛べる。まだ進める……


 ……何処へ?……


 ……故郷はもう敵地だ。家族のいたドレスデン市もすでに……


 ……それでも、やはり飛ぼう……


 ……この鈎十字がついてこなくなる場所まで……







 ……飛んでくれ! 私のコウノトリ!……


















「……う」

 目を開けると、カーテンの隙間から差し込む光が目に染みた。この感触は朝日だ。小鳥のさえずりも聞こえる。ベッドが妙に寝心地が良い。このまま戦争が終わるまで二度寝していようか。いや、戦争が終わったらもう飛行機に乗れなくなるかもしれない。そう、私は昨日も飛行機に乗っていた。乗り慣れたフィーゼラーFi-156、我が軍の空の雑用係だ。あれで妙な雲の中をひたすら飛び続け、燃料切れで不時着を……待て。

 私は飛び起きた。記憶の糸を手繰る内に、昨夜の奇怪な経験を思い出す。部屋はシンプルな内装の寝室で、窓もある。しかし昨日の記憶が現実なら、私は奴らに捕らえられたはずだ。あの白い髪の悪魔に。自分の頭が狂っていると信じたいが、あの赤い瞳は鮮烈な記憶として残っており、圧倒的なリアリティを持っている。ここが何処かは分からないが、『魔物』が実在するのだ。
 ベッドに腰掛け、部屋の壁に自分の軍服と制帽がかけられているのを見つけた。今の私はシャツ一枚の姿だ。ふと微かな痛みを感じ、左の二の腕にぽつりと赤い点ができていることに気づく。

 ――注射の跡……!?――

 背筋に悪寒が走った。奴らにやられたのだろうが、だとすればろくな薬とは思えない。即座に立ち上がり、軍服のポケットなどをまさぐった。ナイフなどの武器類は無くなっており、葉巻が何本か残っているだけだ。この状況下で癌製造棒があってもどうしようもない。軍靴や制帽を調べてみても、仕込んであったナイフまで無くなっている。足に巻き付けてあった信号弾とその発射用拳銃も無いし、拳銃のホルスターさえ取り上げられたらしい。せめてもの救いは寝室の卓上に騎士鉄十字章が置いてあることだ。これが奪われていない所で利益はないが、かつて砂漠で戦っていた頃に授与された思い出の品だ。
 とりあえず靴を履き軍服を着て、勲章は襟元につける。愛機を奪還したとしても燃料がない以上、徒歩か馬でも奪って逃げるしかないだろう。相棒を見捨てていくのは心苦しいが。せめて今までありがとうと言ってやりたかった。

 ――たかが機械にどれだけ感情移入しているんだ、私は――

 首を振って感傷を振り払う。まずは地図を入手しなければ。最もここが地球だという保証すら無いのだ、そうなると脱走自体無意味なものということになりかねない。砂漠や海上に不時着した際のサバイバル技術は教わったし、前者は実践したこともある。渇きや灼熱の悪魔と戦ったのも今となっては良い経験だった。だが比喩表現ではない本物の悪魔がいる場所でのサバイバルなど、誰が想定しているものか。
 それでも、ここでじっとしていたくはない。

 奇妙なことに、ドアに鍵はかかっていなかった。だが当然窓から逃げた方が見つかりにくいだろう。カーテンの隙間から外の様子を伺い……


 そこにいた白髪の悪魔と目が合った。

「あ、起きたんだ」

 窓を外から開けつつ、悪魔は言った。私が咄嗟に飛び退くと、彼女は軽い身のこなしで窓の桟を乗り越え、部屋に入ってくる。
 風邪が吹き込み、束ねられた白髪が靡く。赤い瞳でじっと私を見つめ、悪魔は微笑んだ。昨夜のように正気を失うことはなかったが、それでもうっかり見とれてしまいそうな美貌である。

「大丈夫、捕って食ったりはしないから。……わたしの言葉、分かる?」

 そう言われ、私ははっと気がついた。彼女が話しているのは我が母国語ではない、昨夜聞いたのと同じ言葉だ。それにも関わらず、私はその言葉の意味を理解できているのである。まるで母国語と同じように、その言語が頭に入っているのだ。

「ねぇ、分かる? わたしの髪は何色?」
「……白です」

 同じ言葉で、私は答えていた。母国語で言うこともできたが、不思議と彼女たちと同じ言葉を出せる。

「学習用の魔法薬を注射したの。この町で作られた試作品で、効くかどうか怪しかったけど……言葉が分かればそれほど怖くないでしょ?」

 彼女の口調に敵意は感じられなかった。しかしこの状況下において、簡単に安心できるはずもない。だが彼女が言うように、言葉が通じるのなら取れる選択肢も増えるというものだ。まあ「ジュネーブ条約に則り捕虜としての正当な待遇を要求する!」などと言っても仕方ないだろうが。

「よく眠れた?」
「…
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