船から降りると、港の喧噪が一段と騒々しく感じられた。エスクーレほど大きな港ではないが商船は多く、私の祖国の船も見受けられる。沖には軍艦が遊弋しており、港を守れるだけの水軍も保有しているようだ。荷の積み卸しに人と魔物が忙しなく走り回り、陽気な声が響いている。賑わう港町とは何処も似たようなものだ。
フランチェスカは予め何らかの方法で連絡していたらしく、港にはすでに迎えの馬車が着いていた。フランチェスカと御者が割り符を合わせ、荷物を持って乗り込む。
馬車に揺られている間、町の様子をある程度伺うことができた。領主からして吸血鬼なだけに、人と魔物が入り混じって生活しているようだ。空には郵便物を抱えた鳥人が飛び、路傍で遊ぶ子供も様々な種族であり、人魔の境目が極めて薄く見えた。まるで……
「……ジパングが懐かしい?」
唐突に切り出された言葉に、心臓がはねた。フランチェスカの紫色の瞳は真っ直ぐに私を見つめている。肌を重ねる仲とはいえ、こうも簡単に心を見透かされては滑稽だ。
「ええ、少し」
「帰りたい?」
そう問われ、ふと故郷の町を思い浮かべる。私の生まれ育った黒垣藩は日の国の仲でも、かなり人と魔物が入り交じって暮らす町だった。売り物の魚を自分で食べてしまうネコマタの棒手振り、軽快な語りで評判だった河童の瓦版屋。強大な力を持っているくせに、時々自分の尻尾に足をとられて転ぶ九尾の稲荷もいた。人も妖怪も何処か愛嬌のある連中ばかりで、笑い合って暮らしていたのだ。
私の家もそうだった。親魔物の土地で退魔剣を相伝し、私も幼い頃から門弟たちと稽古に明け暮れていた気がする。そして気がつけば、二刀流の少年剣士として藩でも名の知れた存在になっていた。当時の私は侍として模範的な生き方をしていたと思う。あの男に全てを奪われるまでは、だが……
「……帰れませぬ」
「何故?」
「拙者は武士の心を捨て、復讐に奔りもうした。武士として祖国の土を踏む資格はないでござるよ」
私は今でも祖国を、故郷を愛している。だからこそ、自分があの場所へ戻ることを許せないのだ。例え今回の件で仇敵を殺し、自分の憎しみに区切りをつけたとしても、私の手は血で穢れすぎた。家の退魔剣術の理念にすら沿わぬ形で、ただ私怨と虚無感を埋めるために剣を振ってきたのだ。そうしている内に、血を見るのが快感にさえ思えてきている。
今の私が美しい故郷に帰ることを、心の片隅にいる昔の私が許さないのだ。
「そっか。僕はむしろ、エスクーレが故郷で幸せだったのかもね。あの悪徳の港が故郷で……」
角の付け根辺りをぽりぽりと掻きながら、フランチェスカは呟いた。この町では人間のふりをしていなくても驚かれないため、彼女も堂々と角や翼を晒している。エスクーレでは日頃目立たないように隠す必要があるのだが、それでも彼女にとって理想的な故郷だと言う。清濁全てを受け入れてくれる、あの悪徳の港が。
−−私も、事が終われば……
見えぬ未来を見つめ、私は目を閉ざした。フランチェスカも何も言わない。
馬車は静かに揺れながら、領主邸へと近づいていった。
… … …
領主邸到着後、我々は侍女に案内されて応接間に通された。床には黒い絨毯が敷かれており、部屋はあまり飾り気のない「質素な美しさ」を醸し出している。そこらの金持ちのようなけばけばしい豪華さもなければ、魔界の魔物が好むような禍々しい雰囲気もない。落ち着ける部屋だ。
そして木目の美しい円卓を挟んだ反対側に、この町の領主は座していた。赤く美しい髪の吸血鬼である。見た目は麗しいことこの上ないが、何処か静かな威圧感さえ持っているように思えた。我らの首領アレッシオ・ツェリーニに初めて出会ったときも、このような妙な感覚を覚えた気がする。傍らに立つ執事も直立不動の体勢に全く隙がない。
「お初にお目にかかります、領主様」
挨拶をしつつ、フランチェスカはいきなり自分のズボンを下ろし始めた。領主が僅かに目を見開く。内股にある時計の紋章を見せているのだと気づくまで、私はほんの少しだけ困惑してしまった。
「ツェリーニ・ファミリー幹部、親魔物勢力との交渉を担当するフランチェスカ・リッピと申します。後ろにいるのは護衛のイバという者です」
私が軽く会釈し、領主と執事が頷き返した。領主はフランチェスカに目をやり、ふいに微笑を浮かべる。
「ルージュ・シティ領主、リライア・クロン・ルージュ。これは秘書のベンだ。……レミィナ姫から聞いたことがある。彼女の時計を貶した、勇者フランチェスコとはそなたか」
恭しく礼をする執事を余所に、領主は楽しげに笑っている。フランチェスカもまた、苦笑に近い笑顔を浮かべながらズボンを上げていた。
フランチェスカを魔
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