近寄っていくペトナに、白髪の魔物はニコリと笑いかけた。遠くからでも分かる、眩しい笑顔だ。背中には髪と同じ色の翼があり、黒い服によく映えている。
そして目と鼻の先という距離にきたとき、ペトナは突然彼女に抱きついた。白髪の魔物は綺麗な声で笑いながら、ペトナの頭を撫でてやっている。ペトナが俺以外の奴と、こうも積極的にスキンシップをとるとは。その魔物もペトナを知っているらしく、優しく抱きしめながら何かを話していた。
「あのマンティス……そうか」
領主が静かに呟き、俺の方を見た。不思議な色合いをした灰色の瞳に、自然と背筋が伸びる。
「君が、彼女の配偶者となったのか」
「……ええ」
改めて言われると何となく照れくさい。
だがそれよりも、俺は先ほどの淫行の最中、ペトナが言ったことを思い出した。自分は人間だった……確かにそう言ったのだ。人間が魔物になることは、もはやよくある話と言っていい。それが良いか悪いかは人の価値観によって異なるが、親魔物派の地域では男のインキュバス化共々『種の進化』として受け入れられている。俺が家畜を殺して肉にするのと同様、自然の摂理と言うべきかもしれない。
だが俺の知る限り、マンティスには人間の女を同族化させる力はないはずだ。ならば、他に考えられることは……
「領主様、あの女性はリリムでは?」
「そうだ」
あっさりと領主は答えた。澄んだ声で話を続ける。
「風来姫レミィナ……私の親友にして、悪友」
悪友、という単語を出し、領主は苦笑した。
あの白髪の魔物は町で何度か見かけたことがあり、「リリムではないか」という噂が流れていた。魔王の娘、つまり魔界の王女たちを総称してリリムと呼ぶが、その気質は様々だという。母である魔王に忠誠を尽くす者、夫と共にのんびりと暮らす者……だが、彼女たちには共通の能力がある。人間の女を、好きな魔物に変えられることだ。教団の重要拠点だったレスカティエ教国が、一人のリリムによってあっけなく終末を迎えたことは記憶に新しい。この町に住むレスカティエ出身者が言うには、それも王族や国を守るはずの勇者たちが、次々と魔物に変えられたためだという。噂ではその事件以来、教団の勢力圏で「泣いてばかりいるとリリムが来るぞ!」と叫べば子供が泣きやむようになったらしい。
「ペトナを魔物にしたのは、彼女なのですか?」
「それを知ってどうする?」
領主の瞳が、じっと俺を見つめた。先ほどまでとは違う、厳しさと優しさを併せ持ったような視線。俺という人間を試そうとしているような目つきだ。
「俺は人間が魔物になることを、別にどうとも思いません。しかし勝手な気まぐれでペトナの人生が無茶苦茶にされたのだとしたら、やはり良い気分はしません。偽善と思うかもしれませんが」
「ふむ」
「それに何より、何故マンティスなのかが気になります。」
魔物化の際にどの魔物に変えられるかは、リリムの気まぐれや本人の望みによって決められるという。高位の魔物に変えるならば、その人間にも資質も必要とも聞く。しかし基本的に淫らであることを良しとするというリリムが、人間をわざわざマンティスなどという魔物に変えるだろうか。仮に変えたとしても、普通のマンティスと同様に男に興味を持たぬ生活を送らせるだろうか。その疑問が引っかかっていたのだ。
「なるほど。魔物の性質について、よく勉強したと見える」
感心したような笑みを浮かべ、領主はペトナたちに視線を移した。無邪気に抱きつくペトナに、レミィナと呼ばれたリリムは微笑みながら語りかけている。形容しがたい、不思議な女性だった。一目見れば虜になってしまうという魔性の魅力と、領主に似た優しさのオーラを併せ持っているように見える。
そんな不思議な姫君を数秒眺め、領主は再び口を開いた。
「……昔、姫と一緒に旅をしていたことがあってな」
その灰色の瞳は過去を見ているのだろうか。付き人の男も神妙な面持ちで、彼女の言葉に耳を傾けている。
「その時、教団の予言者……ペトナ・ヴェノルータに出会ったのだ」
「予言者……!?」
俺は驚きながらも、ペトナが時々呟く『予知』を思い出すと合点がいった。あれは野生の勘で片付けるには正確すぎる。
しかし教団の予言者となれば、相当な能力を持っていたのだろう。未来を知ることがどれだけ難しいか、一介の屠殺屋である俺でも知っている。教団も魔物に対抗しようと、そうした人材を集めているのだ。その中には強制的に教団の施設に入れられた者もいるし、孤児を拾って黒魔術紛いの方法で能力を植え付けることもあるという。
「元々は孤児で、小さな教会で育てられたらしい。それが予知の才能に目をつけられ、専門の施設に入れられた。……私が出会ったとき、彼女は投薬によってかなり衰弱して
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