だけど、彼女だけは助けたい

 息を切らして、俺は町の中をひたすら走る。
 昨日の段階で気づいておくべきだった。彼女の、あの思いつめたような表情。口から漏らしかけた悩み事。どう考えても、深刻な物を抱えていたとしか思えない。俺に何かできたかは分からないが、少なくとも気づくべきだった。

 人通りが増えてきた朝の町の中、パトロール中の警官たちに尋ね、路傍の絵描きに尋ね、とにかく探しまわった。しかし、明確な当てがあるわけではない。体力の続く限り、走るしかないのだ。

 ‐‐それにしたって遺書って何だよ!? 何で遺書なんだよ!? 唐突すぎるだろ!

 ……このルージュ・シティは、『人魔共栄』というスローガンを掲げて建てられた町。領主様からしてヴァンパイアで、人と魔物が互いの長所を活かし合い、平和に暮らしている。しかし主神教団がその存在を許すはずもなく、近くの町に陣取った教団と睨み合いが続いているのだ。
 そのため、この町の私設軍は規則が厳しい。いや、普通の軍隊よりはかなり緩いらしいが、少なくとも魔王軍よりは厳しい。真面目なデュラハンとはいえ、故郷と違った環境の中で、彼女はストレスを溜め込んでいたのかもしれない。
 しかしそれにしても、彼女が自殺などするだろうか。いや、するはずが無いと俺は信じたい。もしかしたら、何か困難な、特殊な任務を命じられたのだろうか。だとすれば出陣前に遺書を書いても不思議はない。あの遺書の中身を見ておけば、何か分かったかもしれないが、考えるより先に体が動いてしまった。

「はぁ……はぁ……」

 やはり、当てもなく走り回るのはかなり疲れる。今頃店長と奥さんはベッドの中で息を切らしているのかと思うと物凄く腹が立ってくるが、そんなことを考えている場合ではない。
 どんな小さな手がかりでもいい。彼女の居場所を……

「……ん?」

 数秒、涼しいそよ風が吹いてきた。しかしその中に一瞬だけ、あるニオイがふわりと鼻を刺激した。

 ‐‐このニオイ……彼女の汗だ!

 風向きから方向を判断し、俺は露地裏へと駆けこんだ。汗のニオイが識別できてしまった俺はもはや変態かもしれない。少なくともニオイフェチであることは自認するしかないだろう。だが変態呼ばわりされようと何だろうと、この際関係ない。彼女を助けられれば!

 しかし、状況が好転したわけではなかった。
 この町の露地裏は割と清潔であり、ここで悪だくみをするような奴らはいない。ただし、時々カップルがこっそり交わっているときがある。魔物がいる町である以上、その程度は仕方ないと黙認されているのだが……。
 そんな所から彼女のニオイがしたとなると、嫌な予感しかしない。

 ‐‐くそっ、とにかく見つけるしかない!

 最悪の予想を振り払いながら、時折鼻をくすぐる汗のニオイを辿っていく。ニオイは次第に濃くなり、確実に近付いていることが分かった。
 もしかしたら、声の届く範囲かもしれない。

「隊長さん! 隊長さん、何処だよ!?」

 俺が叫んだ直後。
 澄んだ金属音と、くぐもった悲鳴が聞こえた。レンガでできた建物の隙間を通り、聞こえた方へと走る。脚が若干痛むが、それを無視して駆けこんだ。

 そして。

 建物に囲まれた、小さな裏庭のような所。
 上方が開け、日光が差し込むその場所に、彼女が倒れ伏していた。

「隊長さん!」

 すぐさま駆けより、助け起こす。彼女は多量の汗をかき、苦悶を滲ませた顔で、声一つ漏らさない。鎧は金属板が剥がれ落ちてボロボロになっており、彼女から少し離れた位置には剣が落ちている。だが手を握ってみると、しっかり脈があった。
 俺の最悪の予想は外れてくれたらしい。しかし、事態は別の意味で最悪だった。
 彼女をこんな風にした張本人が、すぐ近くにいたのだ。

「……お前の声のお陰で、隙ができたよ。シャルル」

 修道士姿の男……ヅギさんだ。
表情の無い、血のような赤い目で、俺と彼女をじっと見つめている。先ほどまで彼女と戦っていたのだろう。手には湾曲した幅の広いナイフを持ち、黒い服は恐らく彼女の剣によって、袖や裾が切り裂かれている。
 俺は彼女を庇いながら、意を決して口を開いた。

「何が……何があったんです!? 彼女が何をしたんですか!?」

 声が高ぶる。相手はよく知った人間とはいえ、本物の戦争屋。とてつもなく恐ろしい、だが逃げるわけにはいかない。勇気を振り絞る、というのは、こういうときのことを言うのだろうか……そんな思いが、ふと頭をよぎった。
 するとヅギさんは、殺す気は無いとばかりに、ナイフを鞘に納めた。微かな金属音が、静寂の中に響く。
 静かなため息を吐き、哀しげな笑みを浮かべ……彼は告げた。

「オレが、お姉さんの仇なんだとさ」
「……え?」

 俺が唖然とし、間抜けな声を出した時。

 
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