「……ああー、クソッタレ」
何の意味もなく、悪態を吐いちまう。婆ちゃんが生きてたら注意されただろう。汚い言葉を使うほど、幸せが逃げるって。
だがまあ、今吐き出した言葉のお陰で、不思議と心が落ち着いた。
落ち着いてみると、なんか周りが真っ白なことに気づいた。見えるのは、俺が座っている長椅子と、近くにある柱っぽい影。他は霧が酷くて見えやしない。そもそもここはどこだ?
まあ、どうせ夢でも見てるんだろう。でなきゃ俺の周りがこんなに静かなわけがない。
と言っても、あたりの温度やら、なんか気分の良いニオイやら、座ってる椅子の冷たさやら……夢にしちゃ妙に感覚が鮮明だ。明晰夢ってやつなのか。何にせよ悪い気分じゃないし、目が覚めるまでのんびりしているか。むしろ普段が騒がしすぎるんだ、家といい、学校といい。
今は静かだ。夢でもいいから、たまにはこういう時間が欲しい。今聞こえるのは……カツン、カツンって足音だけだ。
「……おはようございます」
可愛い声がした。
俺より大分年下の女の子だ。それだけなら別にどうってことはない、俺みたいな奴にも挨拶してくれる小学生はいる。だが今霧の中からやってきたその子は、ランドセルを背負ったその辺の小学生とは違って、着物姿だった。七五三……って歳でもないだろうに、緑色の綺麗な着物を着ている。帯は白いモミジの柄が入っていて、足袋と下駄を履いている。いや、下駄じゃなくて雪駄ってやつか?
「……おう」
軽く会釈を返すと、女の子はにっこり笑った。くりっとした目の可愛い子だ。後頭部に編んだ髪で二つ輪を作った髪型で、前髪は揃っていて、着物もよく似合ってる。俺に美的感覚なんてもんは無いが、この子はちゃんと身なりを考えているんだと分かる。
と、同時にだ。俺は改めて、これは夢だと思った。女の子の耳はつんと尖っている。まるでマンガに出てくるエルフみたいに。
その子は手に籠を持っていた。藤か何かを編んだ昔ながらの入れ物だ。それをすっと、俺の前に差し出してくる。
「おひとつ、どうぞ」
小さな手からぶら下がった籠には、紙で包んだ飴らしき物がたっぷり入っていた。ちょうど喉が渇いていたし、気の利いた夢だ。
「ありがとよ」
一つもらって、包みを剥がす。透き通った金色の球を口に放り込むと、メープルシロップみたいな甘さが広がった。美味い飴だ……と思っていたとき。
急に、周りの霧が晴れた。目の前に見えるのは、線路。俺が座っているのは、駅のホームにあるベンチだった。
と言っても、夢だけに駅の光景も異様だ。まずホームの天井を支える柱が、木だ……単に木製ってことじゃなくて、生きた木が天井に枝と葉っぱを広げて支えている。まるで森の中に駅が取り込まれてるみたいだ。さっきから感じていたニオイは、森のニオイだったみたいだ。
駅の名前は、『唐紅郷』と書かれていた。『からくれないのさと』と読み仮名が振られている。
「……あの」
女の子が、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「お兄様……もしかして、迷子ですか?」
「あー、似たようなもんかもな」
自分の夢で迷子ってのもおかしいが。
「まあ、たまには迷子になるのも悪くねぇよ」
夢とはいえ、子供に心配かけちゃいけないと思って答えた。けど本当にここ何年かは、いっそ迷子になりたい日々を過ごしているな。学校辞めて中卒で働く羽目になるわ、暴れる兄貴をなだめなきゃいけないわ、親はしょぼくれる一方だわ……もうずっと夢の中で迷子になっていたい。
「でも、お腹空いてませんか?」
相変わらず心配そうだった。優しい子なんだな、と思いながら、夢の中でも腹が減っていることに気づいた。飴は美味いが、これ一つでどうなるもんでもない。
「まあ確かに。駅なら立ち食い蕎麦とかないか?」
「……それでしたら」
すとん、と俺の隣に座る女の子。にっこりと笑顔を浮かべているのが、何つーか、眩しい。
「わたしが、何か朝ごはんをお作りいたします」
「え……いいの?」
「はい。迷子の方のお世話をするのも、わたしたちの役目です」
そう言って笑うその子から、ふわっと良いニオイがした。もらった飴と似ていたが、もっと爽やかな感じの甘いニオイだ。笑顔にニオイがあるならこんな感じか、なんて思った。
こんなちっちゃい女の子に飯を奢ってもらうなんて、と思わなくもないが、どうせ夢だしな。
「大事なお使いがあるので、それが終わってからですけど。すぐに済んじゃいますから」
「ありがとう、助かるよ。じゃあその、お使いとやらの手伝いでもできたら……」
「いえ。ほんの小さな物を受け取るだけですから。……あっ」
ふと、何か思い出したような声を出す。
「わたし、シノといいます」
「ああ、俺は啓二な。よろしく
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