前編

 ……ルージュ・シティ 市営牧場……





 ……今日は、良い天気だ。
 鳥小屋の外で、僕はいつものように天気のことを考えた。朝だから空気は冷えているけど、雲ひとつ無い空に太陽が輝き、昨夜降った雨の跡を乾かしていく。その下で、僕と兄に取り押さえられた鴨が鳴き声一つ上げられずに、ただ息をしている。やかましく鳴く鴨も、両翼の端を背中で重ね合わせるようにしてやると、不思議と声を出せなくなるのだ。すでに屠った仲間の姿を見せないように、兄が手で目隠しをしている。

「良い天気だね、兄さん」
「ああ、今日も暑くなるな」

 腰にさした包丁を抜いて、兄は答えた。小柄な僕と逆に、兄は屈強な体つきだ。よく研いだ包丁が日の光に煌めき、何とも言えない迫力を生み出している。

「涼しいうちに終わらせちまおう」
「そうだね」

 いつも通りの会話だ。平和な、僕ら屠殺人の日常。家畜だって、蒸し暑い中で死にたくはないだろう。
 僕は鴨を取り押さえる手に力を込める。兄は包丁の柄を口に咥え、両手で鴨の首を掴み……一気に捻った。
 頸骨が折れた後、兄は包丁を鴨の首にあてがう。よく研いだ包丁は、兄の腕により素早く、鋭く鴨の頸動脈を切り裂いた。
 血が噴きでないよう首元をしっかり握ったまま、僕が鴨の体を逆さにして持ち上げ、バケツ型の容器に頭から突っ込む。
 これで一段落だ。このまま血を抜き、一度熱湯に入れて羽を取りやすくする。羽毛を全てむしるのが一番面倒くさい作業で、その後に解体。もっとも、鮮度の高い肉は死後硬直が解けておらず硬いため、食べるにはしばらく間をおく必要がある。まあ鴨は小さいから、それほど時間はかからない。

 これが、僕らの日常。物心つく頃からやってきた、僕らリートゥス家の家業。父の死をきっかけに、このルージュ・シティに引っ越してきてからも変わらない。だが昔よりはマシだ。故郷と違って、この町には屠殺人であることを理由に、石を投げつけてくるような輩はいない。僕だって、気分のいい仕事ではないと思う。でも、誰かがやらなければならない仕事だ……父はそう言っていた。

「っと、今日はヅギの旦那が来るんだっけ……。クルト、悪いが砥ぎに出した包丁、受け取ってきてくれないか?」
「了解、行ってくる」

 ……その前に、今殺した鴨に対し、手を合わせて黙祷する。兄も同様に、静かに鴨に感謝の念を捧げた。豊かな都会に暮らしている人々は、自分たちが他の生き物の命をもらって生きていられることを、ついつい忘れてしまう。「いただきます」というごく当たり前の言葉の意味さえ、忘れてしまっていることだろう。しかし、常にその現場に携わっている僕ら屠殺人や猟師は、忘れようがない。
 だからこそ、こうして家畜たちに感謝し、冥福を祈る。屠殺に使うナイフをよく研磨するのも、極力痛みを感じさせないためだ。よく切れる刃物で切られても、その瞬間は痛みを感じない。牛のような大きな家畜となると、全く苦しませないようにするのは困難だが、必要以上の苦痛を与えることは伝統的に禁じられている。
 僕らが行っているのは、人々の生きる糧を作ること。誰も褒めてくれなくても、僕と兄さんはこの仕事に誇りを持っている。

「……?」

 後ろを振り向いたその時。視界に一瞬だけ、影のようなものが見えた。影と言っても光のただ中で、むしろ黒い霧のような物が、一瞬だけ見えたのだ。形があるのか無いのか分からない、奇妙な何かが。しかし僕には、ふっと消えてしまったそれが、人の姿をしていたように思えた。

「クルト、どうした?」
「いや……行ってくるよ」

 何かの幻覚だったのだろうか。最近仕事が多かったし……疲れのせいかもしれない。
 何か気になりながらも、僕は町へ向かった。








「毎度あり。またな」
「はい、またお願いします」

 研ぎ師の老人に代金を払い、僕は店から出た。往来には人と魔物が行き交い、仕立て屋、靴屋、ガラス屋などの工房が軒を連ねている。道ではジャイアントアントの少女が建築資材を運んでおり、空にはハーピーが郵便物を持って飛んでいる。人間と魔物の完全な共存を掲げて作られたこの町では、人と魔物が手を取り合って暮らしているのだ。
 この町に来てよかったと思うことは、誰も僕らの仕事を蔑まないことだ。勿論最初にあった時は、屠殺人と聞いて微妙な顔をする人もいる。だが露骨な差別はないし、貴族達も上から目線ながら蔑んでくることは一切無い。領主が畜産に詳しい者を募集していたので越して来たが、僕と兄にとってここは理想的な町だった。

「おっ、クルトじゃないか」

 呼び止められて、振り向く。陽気な笑みを浮かべた知り合いが、腰に手を当てて立っていた。

「やあ、コルバさん。ご注文の鴨ですが、今朝潰しました」
「おう、そうか。開店祝賀
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