……空の景色が変わらないこの遺跡では、1日以上滞在していると寝起きのリズムが崩れる者が多い。時間の感覚が狂わないよう、色々と工夫をしているし、それでも寝られなくなって辛い者は地上へ送還している。
私は案外、何日この遺跡で泊まっても大丈夫だ。買い出しに地上へ戻ることはできるし、これと言って不便はない。
ただ、今夜ばかりは眠れなかった。安全が確保されている区域を、砂を踏んで一人歩く。持っているのは、あの手紙。
『ラウル・クロムソン様。今宵、久しぶりに語り合いたく存じます。
エルミーヌ・ド・ピエーリエンス』
誰かの悪戯という線もなくは無い。だが私はこの街で多くを学んだ。教団が秘匿していた事実、世界の広さ、そして共存すべき相手である魔物のことも。
だから分かる。この手紙が届けばどうやっても逃げられないし、逃げる資格も無いのだと。
砂の上に座り、不動の星を見上げた。手元には手紙の他に、もう1つ持っている物がある。あの処刑刀だ。身を守るために使おう、などという気はない。ただ手放せないだけだ。
鞘から抜くと、鏡のような剣身に星空が映った。染み付いた習慣で手入れを続けているので、使っていなくても切れ味は保っている。
ただ一箇所、ネズミに齧られたような刃毀れがある。故郷で最後の斬首を行い、しくじったときの傷……その後、私は故郷を飛び出した。こんな剣を持っていては素性がバレやすくなるだろうが、捨てられなかった。
罪悪感からか、彼女との繋がりがこれしか残っていないからか。自分でも分からない。
「綺麗な星空ですね」
懐かしい、澄んだ声が背後から聞こえた。年月が経っても鮮明に思い出せる、あのときと同じ声。
「……本物の星ではありませんが」
刃に映る星に目を向けたまま、自分でも驚くほど冷静に返していた。彼女の方を振り返る覚悟すら、できていないのだが。
「かつてここで暮らしていた人たちにとっては、本物だったのかもしれませんよ」
彼女はゆっくりと近づいてきて、私の隣に腰を降ろした。何かを砂の上に置いたようだ。
顔を見なくても分かる。間違いなく彼女だ。
「また、お会いできましたね」
「……はい」
白い手がそっと、処刑刀の剣身を撫でた。生前には剣術の稽古による豆があったのを覚えているが、今は滑らかな、柔らかそうな手をしている。それもまた、彼女がすでに人間ではないことを示していた。
「いけません。この剣は穢れています」
「でも、わたしの名誉を守ってくれました」
彼女の手はゆっくりと、私の手へと移った。柔らかく暖かい。
「……ありがとうございました。ラウルさん……」
囁くように、彼女は言った。あの処刑の後のことを思い出す。彼女の父親も、同じように感謝の言葉を告げたのだ。
そしてあの誇り高い言葉の通り、真の悪は暴きたてられた。彼女を死に追いやった伯爵は他にも数々の不正を行なっており、それが発覚すると憤慨した国王から斬首刑を命じられた。そして彼女を殺したのと同じ剣、同じ男によって、命を絶たれた。
「……グヴェル伯爵の処刑は、そうはいきませんでした」
欠けた刃を見つめる。悪人であっても貴族であれば尊厳ある死が求められ、執行する者は一瞬で楽にしてやらなくてはならない。しかし私はあの時、初めて一回で首を刎ねることができなかったばかりか、剣に刃こぼれまで起こしてしまった。
伯爵は肥えていて首が太かった上、処刑台の上でガタガタ震えていたので難しかったと言い訳はできる。だが私の腕前を知っており、かつエルミーナ嬢の処刑を見た者たちは口々に言った。『あの冷徹な処刑人でさえ、エルミーナ様を殺したことを後悔していたのだろう。だから黒幕の伯爵に惨い真似をしたんだ』……と。
半分は事実と違う。父や祖父がそうしてきたように、正義の剣を用いる以上はちゃんと一瞬で楽にしてやるつもりだった。だがもう半分は当たっている。
「私は未だに、貴女を殺したことを後悔しています。他に選択肢は無く、あれが最善だったと信じていても」
もし私が剣で彼女の首ではなく、拘束していた縄を切っていたら……無駄だろう。周りに多数の兵士がいる中で逃げられるわけはない。民衆が協力してくれれば別だろうが、そんなことを期待するものではない。みんな結局は自分の身が大事なのだ、私を含めて。
だが、それでも。
「後悔せずにはいられません。貴女を殺すべきではなかった」
「……私が貴方にお会いしたかったのは」
すっと、彼女が私の前へ回った。反射的に顔を上げる。
「貴方のその優しさに、もう一度触れたかったから」
あの時と同じ、澄み切った瞳がそこにあった。時間が止まったかのように変わらぬ姿。黒い旅装束に、白い肌がよく映えている。彼女は、
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