医者


 ……処刑人を辞めてしばらく経ったが、あの頃のことは未だに思い出す。悪夢にも見る。だが過去は過去として、今の生活と仕事をおざなりにはできない。
 買い足した酒と燻製、薬草を鞄に入れ、仕事場へ向かう。とはいえ、もう私の仕事場は処刑台ではないし、そもそもこの街に処刑台はない。それどころか賑わう繁華街の中を歩いていても、誰も私に石を投げないし、気さくに挨拶してくれる人もいる。

 そして、人ではない者も。

「どいてどいてー!」

 女性の声に振り向くと、建材を山積みにした荷車が近づいていた。通行人たちは脇へ寄って道を開け、私も同じように避けた。荷車を曳いていたのは牛や馬ではなく、2人組の女の子たちだ。積んでいる材木や布などの量を見れば、いくら複数人でも女性に運べる量ではない。
 それでもスムーズに荷車が走っているのは、彼女らが人間ではないからだ。上半身こそ美しい肢体の女性だが、下半身は丸ごと昆虫のそれに置き換わっている。ジャイアントアントと呼ばれる蟻の魔物だ。

「あっ、先生!」

 彼女らは私に気づき、路上でゆっくりと停止する。私と同じ所で働いている子たちだ。

「地下さ戻るだか?」
「ええ」
「ほいじゃ、後ろさ乗ってけし!」

 蟻の女の子は親指で荷車を指し、眩しい笑顔を見せた。彼女ら魔物は自分の伴侶以外の男に情欲を持たないが、友情や親切心を示すことはある。この街で学んだことだ。

「大変じゃないですか?」
「人間1人分増えたって、どってこたぁねぇだよ!」
「んだですよ」

 ……確かにどうってことないだろう。何せ自分の体の倍以上ある岩さえ、簡単に動かしてしまえるジャイアントアント達だ。ここから仕事場までは距離があるし、荷物も重いので厚意に甘えることにした。

 お礼を言って積み荷の上へよじ登ると、彼女たちは再び車を曳き始めた。走る荷車の上から街の雑踏を眺め、つくづく日常が変わったことを感じる。ラミア、ケンタウロス、リザードマン、サキュバス……多種多様な魔物たちが、人間と共に暮らしているのがこのルージュ・シティだ。この平和な都市をヴァンパイアが統治しているなどと、最初は信じられなかった。
 忌むべき人類の敵、すなわち魔物たちの実態は、主神教団の言う旧来のものとは大きく異なっている。故郷を出て流れに流れて、成り行きで行き着いたのがこの街だったが、不思議なことに住み心地は非常に良い。

「先生にゃおらたちの亭主が世話になったからなぁ」
「んだんだ。まんずお医者様は頼りになるだ」

 口々に言う2人に、「それほどのことはないですよ」と返す。今の肩書きは外科医……副業が本業になったわけだが、こんなことができるなど最初は思ってもみなかった。故郷を離れて商売を始めた処刑人もいるが、身分が知れると客は来なくなったという。

「昔からずっとお医者やってるだか?」
「……いえ。昔は、罪人の首を切り落とす仕事を」
「うわ、おっかねぇ仕事だぁ」
「お医者様の方が良かんべぇ」

 ここでは身分を明かしてもこの程度の反応だ。調子は狂うが、大なり小なり『ワケ有り』の人間が多く住む街なので、私もまたそうした男の1人としてあっさり受け入れられる。
 こんな街が、こんな社会があるなどと、昔は想像もしていなかった。

「そうですね……やり甲斐があります」

 これが私の、嘘偽りない気持ちだ。



 荷車はしばらく走り、やがて厳重に警備された建物へたどり着いた。看板などは無く、その代わりというわけではないが武装した魔物たちが取り囲んでいる。リザードマンやケンタウロスなど。我々が身分証明の割り符を見せると、大きな扉をオークが2人がかりで開けた。荷車ごと入れる大きな扉だ。

 中は一見何もない大きな部屋。ただし床には円形の、複雑な魔法陣が刻まれている。
 荷車と我々がその中心に乗ると、魔法陣は青く輝いた。続いて、若干の浮遊感。魔法陣の刻まれた床が、下へ下へと降り始めたのだ。

 すでに荷車の上から降りていた私は、その縁に掴まってじっとしていた。地上の光が上へ遠ざかっていき、魔法陣の放つ光だけが辺りを照らしている。
 だがしばらくすると、徐々に明るくなってきた。薄暗いが、これから降りて行く先の景色は見える。

 半ば砂に埋もれた、流線形の建物の群れ。月のような光を放つ木々……地底遺跡だ。遥か過去に失われた、謎の都。

「……おら、今でもここ降りるたんびに思うだよ。すんげぇ場所だって」
「んだな」

 ジャイアントアントたちが呟く。私も同じだ。

 魔法陣のリフトが地面に着き、浮遊感がなくなる。辿り着いたのは遺跡の合間の広場に建てられた、発掘隊のテント群だ。
 ジャイアントアントたちに礼を言って別れ、彼女らは荷車を曳き発掘現場へ、私は持ち場の医療テントへ向かった。


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