ネリーの妊娠は地底街に騒ぎを巻き起こした。大勢いる姉や妹から祝福され、お腹を撫でられ、彼女は気恥ずかしげに笑っていた。中にはネリーを羨んで、情事の時間を長く取る娘もいたのだが、問題は起きなかった。何人かが仕事を休んだ程度で集団が麻痺するほど、ジャイアントアントたちの社会構造は脆弱ではない。
そしてネリー当人も仕事を休むことになった。魔物は人間と違い、胎児または卵へ魔力を供給する必要があるので、妊娠してからの性交も大事なのだ。そのため日に日に大きくなっていくネリーのお腹を見ながら、毎日交わり続けることになった。それだけではなく、空いた時間でロンベスらの手を借りつつ計画を進めていった。とある人たちと出会い、その協力も得ながら。
やがてその日は来た。
「どうだニコル。なかなかいい船じゃないか」
桟橋に係留されたジーベック船を眺め、ロンベスは得意げに笑う。僕も同じ意見だ。あの日ネリーたちが見つけた船……シガール号はすっかり生まれ変わった。ロンベスは元々船大工の家系だし、地底街には他にも造船の経験がある男が何人かいたのだ。彼らは損傷箇所を修復して、再び航海ができるように、そしてジャイアントアントたちが櫂を操りやすいように漕ぎ手座を改修してもくれた。
それだけでなく、船首像も新しいものを作ってくれた。シルクハットを被りバイオリンを抱えたキリギリスという一風変わった像だ。僕をイメージしたものらしい。
「本当にありがとう。これなら何処へでも行ける」
「まずはエスクーレ海峡の向こうへ行くんだったな。あの辺の航路は凪が多いがジーベックなら大丈夫だろう。魔法の帆でも使えりゃ一番いいんだが、まあジャイアントアントはかなり体力あるから問題ないさ」
空は晴れ、波も穏やかだ。新たな門出には丁度良い。
「……ところで、ニコル。お前の祖国のことなんだが」
少し躊躇しながら、彼はふいに話題を変えた。
「議長が、その……行方不明になったらしいぞ。暗殺されたって噂も出てる。確かじゃないが」
「……そうか」
「言おうか迷ったが、知りたいだろうと思って」
僕はありがとうと答えた。確かに、知っておくべきことだった。祖国ガリエタニアは国王が処刑された後、革命の中心人物だった8人の指導者による新政府が樹立した。革命のときと同じく自由と平等を掲げ、新しい国作りが始まったのだ。
しかし僕が彼らに抱いていた希望が絶望に変わるまで、それほど時間はかからなかった。まず議員8人の内2人が断頭台にかけられた。理由は残された王族に一定の権利を与えることを主張したため、『自由と平等を破壊する人物』と見做されたのである。
そして王侯貴族や知識人に対する大粛清が始まった。元より革命に協力的だった者でさえ首を撥ねられた。他国へ亡命した貴族の逆襲が予想されたため、防備のために新しい要塞が必要となり、建設予定地から立ち退かなかった住民たちも徹底的に弾圧された。
5ヶ月後、新政府により断頭台へ送られた人数は、最後の国王が在位していた3年間の犠牲者数を上回った。処刑された理由は常に『人民が多くの血と引き換えに勝ち得た自由と平等を破壊しようとした罪』。
「……あの革命は結局、暴君が別の暴君に代わっただけだった。しかも人数は増えた。その中心だった議長はさぞかし恨まれていただろうね」
「自由を欲しがった連中が、他人の自由を奪いまくったわけか」
「ああ。王の権威を理由に行われていた横暴が、今度は自由と平等を理由に行われるようになった」
そして僕は、そういう指導者たちに手を貸してしまった。議長が消え、他の者たちは気づくだろうか。自分たちが本当はただ無責任になっただけで、不自由なままだということに。
「お前は祖国に責任を感じているみたいだが、その責任感の強さを自分の家族のために使え。そうすりゃ良い父親になれるさ」
「ありがとう、ロンベス」
彼と固い握手を交わし、船に乗り込む。
すでに水と食料は積み込み、乗員……ネリーの妹たちも乗り込んでいた。ネリーに着いていくことにした子たちだ。新たな女王が自分の群れを作る際はこうして姉妹たちが同行し、生まれてくる子供の世話などを手伝う。ジャイアントアントはそうやって生息域を広げていき、魔物たちのインフラ整備に重要な役割を果たしているのだ。
コロニーの女王、つまりネリーの母親もまた、甲板まで見送りに来ていた。母親と言っても、顔は童顔なネリーよりいくらか年上程度にしか見えず、肌も若々しい。しかし蟻の下半身は大きく肥大しており、いかにも女王蟻という風体だ。
「あんたならきっと上手くやれるだ。あんたと、あんたの姉ちゃん97人、妹132人、みーんなおらの自慢の娘だよ!」
「ありがと、母ちゃん!」
親子は強く抱き合い、出
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