森の静寂の中、鉉を引きしぼる音だけが聞こえる。狙いを定め、息を止めた瞬間に矢を放つ。僕には自分の矢と、獲物との間を結ぶ線が見えたような気がした。
そして矢はその線の中を飛び、空気を切り裂いて……狙い違わず、獲物の頭を射抜いた。
草むらに倒れる、雄の鴨。喜び勇んで駆け出す僕の後を、トウィーデも自分の弓を手についてきた。彼女に教えてもらいながら作った矢は鴨の頭部を貫通し、恐らくは苦しませることなく絶命させていた。手で掴み上げた獲物はずっしりと重く、そして美しかった。黄色い嘴、緑の頭……その命を自分の手で終わらせたことに罪悪感を覚えたが、僕はその瞬間に自分が自然の一員であることを自覚した。誰もがこうやって、他の命を奪い、食べて生きているのだと。
「やったよ、トウィーデ!」
「はい、お見事です!」
前髪で隠れがちな顔を上げ、彼女はニコリと笑った。綺麗な緑の髪が木漏れ日を浴びて光っている。僕がよく彼女を連れて森へ行ったのは、天性の弓使いである彼女から狩猟を教わるため。でもその髪の美しさを森の中で眺めるのが、子供時代の密かな楽しみだった。
ピクピクと動く尖った耳も……人間とは違うその形も、とても可愛いかった。口には出さなかったし、出せなかったけれど、自分とは違う彼女が好きだった。でも彼女自身はそれを嫌っていた。
「僕もちょっと強くなれた気がする。トウィーデのおかげだよ!」
「そんな……フェリクス様はわたしが、いなくても……」
白い頬を赤らめて俯く彼女。褒めるといつもそうやって恥ずかしがる、そんな仕草も可愛いと思ったし、可愛い彼女をいじめる奴らも許せなかった。
ふと、木々の間に何かが羽ばたいた。見上げた僕の目の先で、黒い生き物が木からぶら下がっていた。
蝙蝠だ。昼間の森で見かけるのはとても珍しい。夜行性のはずなのに。そいつは豚のような鼻をひくつかせながら、翼をマントのようにして体を覆う。まるで笑うように、口を開閉させて僕たちを見ていた。
気味の悪い奴だ。蝙蝠を睨みつけながら、矢筒から矢を一本抜き出す。
「あ、だめっ!」
突然、トウィーデに腕を掴まれた。その叫びに驚いたのか、蝙蝠は枝から足を離して飛び立つ。黒い塊は急降下したかと思うと再び舞い上がって、木立の影に消えて行った。
「……も、申し訳有りません」
はっと我に返ったかのように手を離すトウィーデ。彼女がこんなことをしたのは初めてだ。
「どうしたの……?」
「その……昔話で……」
もじもじと遠慮がちに、使用人の少女は言葉を紡ぐ。
「蝙蝠は、鳥からも獣からも、仲間はずれにされて……」
それを聞いて、今度は僕がはっとした。彼女も蝙蝠と同じなんだ。
自分はなんて酷いことをしようとしていたのか。しかも食べるわけでもないのに、ただ気味が悪いからと生き物を殺そうとした。それじゃトウィーデを迫害する奴らと同じじゃないか。死んだ父上と母上にも合わせる顔がない。
「ごめん、トウィーデ。今君に誓うよ」
手を取ると、彼女も顔を上げてくれた。緑の前髪の隙間から、紫色の潤んだ瞳が見えた。
「もう二度と蝙蝠をいじめない。どれだけ強くなっても、絶対に」
彼女はにっこりと笑ってくれた。ありがとうございます、と明るくお礼を言って。
その後、彼女も大きな鴨を一羽仕留めて、二人で意気揚々と屋敷に帰った。祖父は僕の矢が鴨の頭を射抜いているのを見て、「トウィーデの腕に近づいたな」の喜んでくれた。僕自身も夕食に鴨肉のソテーを食べながら、また一つ成長できた自分を嬉しく思った。そしていつか、彼女から学んだ弓矢で魔物と戦い、人々を救うことを夢見ていた。
一番幸せだった日々の思い出。
だから今でも、こうして夢に見る。
「……長っ! 分隊長!」
部下の叫び声に、意識が『今』へ引き戻されていく。耳には鬨の声と断末魔、鼻には血の匂いを感じる。ゆっくりと体を起こしながら、何があったのか思い出す。
そうだ。確か近くに爆発魔法が着弾して、その衝撃で落馬したんだ。
まったく、不覚だ。匪賊にあれだけの魔法使いがいるとはね。
「分隊長、大丈夫ですか!?」
「……平気だ」
立ち上がり、状況を把握した。
魔法を放った賊……すでに全身に矢を受けて息絶えている。
味方の被害……三名倒れている。
攻撃目標……匪賊の山塞は僕らの放った火矢で燃え上がっている。
時間……月の位置からして午前一時。
「リーセンロッツ隊長は?」
「あそこです!」
部下が指差す彼方には、燃えるテントの群れがあった。炎に照らされ、その合間を踊る人影が見える。逃げ惑い、或いは立ち向かってくる賊の頭上を並外れた跳躍力で飛び回る。その剣が閃く度に賊ども
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