夜鬼のランドセル

 少年は両親から、世俗に関わることを禁じられていた。漫画やアニメ、友達とゲームやスポーツをするといった、子供なら誰でもやることさえできなかった。両親曰く、それらは悪魔の誘惑だそうだ。そうした禁を少しでも破ると、母親に棒で打たれた。
 その代わり、母が聖書を手に他人の家を訪問する際には連れて行かれた。長々と話をする母の隣でじっと立っているだけだった。訪問した先の住人は母親の話を真面目に聞く人もいたが、大抵は嫌そうに聞きながら何とか勧誘を断ろうとした。賢い人は母が話を始めた途端に「二度と来るな」と怒鳴りつけ、戸の鍵を閉めてしまった。一度、真冬に氷水を浴びせられ追い払われたこともある。そのときは母のみならず、少年も巻き添えをくらった。母からはこれも神からの試練だと言い聞かされた。言うことを聞かないと、棒で打たれた。

 当然ながら、彼は小学校では浮いた存在となった。だが受け入れるしかなかった。一度反抗を試みたこともあったが、ライターで火傷を負わされた挙句、さらに打たれた。その後で涙ながらに、これはお前のためなのだと言い聞かされた。
 だから受け入れるしかなかった。

 毎日が苦痛だ。それを彼の親は真理だと言う。理解はできなかったが、子供としてはそういうものだと思うしかない。





 ある、雪の降る日のことだった。

「おい、チビ」

 学校帰りの雪道で、急に肩を掴まれた。驚いて振り向くと、相手は長身の学生だった。不良、という言葉の似合う男だった。近くの高等学校の制服を着て、所々破れたカバンを提げ、髪は茶色に染めている。よく見ると整った顔立ちだが、睨みつけるような目つきで彼を見ていた。
 少年は酷く怯えた。自分が何をしたというのか。親ばかりか、知らない人間にまで暴力を振るわれるのか、と。

 しかし、不良は彼を殴らなかった。予想外のことを口にしたのだ。

「お前さ、子供を虐待……ようするに自分の子供をイジメる親がいる理由って、分かるか?」

 突然の言葉。何が言いたいのか、何の話なのか分からなかった。戸惑う少年に構うことなく、不良は続けた。

「俺に言わせりゃ、子供が自分より弱いと思ってるからだ。何をしてもやり返されないと思っているからなんだよ」

 指で背中の一部分を突かれ、少年の心臓が大きく跳ねた。そしてこの不良が、自分のことを言っているのだと理解した。そこは丁度、母に火傷を負わされた箇所だったのだ。
 目を見開く少年に対し、その男は続ける。

「けど親は歳をとって、だんだん弱くなる。子供はでかくなって強くなる。仕返しできるくらいに。でもそうなる前に殺されるガキも多いんだよ」

 少年の脳裏に、母の声が聞こえてきた。逃げなさい、この人は危険よ、悪魔に取り憑かれている……と。
 だが彼は鋭い眼光に射すくめられ、逃げられなかった。だが、感じていたのはただの恐怖や威圧感だけではなかったのだ。



「戦え。もう嫌だって思った時がその時だ。その気にさえなりゃ、気の良い悪魔が助けてくれる」


 その言葉を最後に、男は踵を返した。少年の手に、鈍い銀色の『それ』を握らせてから。















 ……帰宅後、少年を待っていたのは罵声と怒声の本流だった。帰るのが遅かったことを、両親はいつも禁じている『背徳的行為』にふけっていたのだと思ったらしい。そして息子の弁明など聞きもしなかった。
 ひとしきり殴った後、母親はいつものように涙を流しながら、少年の前に小さな天秤を置いた。宗教集団のシンボルのようなものだった。

 この世は悪魔に支配されている。いずれ神の軍勢がやってきて、汚れた地上を更地に戻す。人間は罪をこの秤にかけられて、救われるべき人と、そうでない人に分けられる。
 そうしたヒステリックに教義を言い聞かせた。

「あなたはこの世の汚れに染まって、救われない人になってもいいの!?」
「お母さんがこんなに泣いてるのに、何とも思わないのか!? 早く謝れ!」

 父親に襟首を掴まれ、無理やり頭を下げさせられる。床に額を打ち付けられた。

 こんな目に合うのは初めてではない。ひたすら謝れば終わる。そのことを少年は分かっていた。いずれまた同じ目に合うことも、分かっていた。
 それでも、その場での暴力を終わらせるしかなかった。ただ謝り続けることで。そうしないと、もっと酷いことになると薄々察していたから。

 だが。

「……もう嫌だ」

 信じられないくらい、低い声が出た。両親が一瞬唖然とするくらいに。
 少年は突如、聖なる天秤を掴んだ。それを可能な限り高く振り上げ、一気に床へ叩きつける。皿が外れて吹き飛び、金属が音を立てて折れた。刻まれたレリーフがねじ曲がったのを見て、少年は今までに感じたことのない爽快感を覚えた。

 母親が悲鳴を上
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