後編

「捕虜どん、石楠花さんの所へ下地を持って行ってくれ」
「へぇい!」
「捕虜どん! 枕が破れたんで直してくれ!」
「あいよ、ちょっと待ってな!」

 朱に交われば赤くなる、という言葉がジパングにはあるらしい。この色茶屋に逗留して一ヶ月、ジパング人の若い衆と一緒に仕事をするようになり、すっかり馴染んでしまった。口調まで周りの連中のが写ってしまう。
 店には他にも魔物の娼婦……正しくは『遊女』というのが大勢いる。中には下半身がムカデの女もいて、これを抱く気になるのかと驚いたものだ。そのとき露骨に気味悪そうな目で見てしまったため、相手には泣かれ、つつじには叱られ、平謝りするしかなかった。今では仲直りして上手くやっている。番頭の獣人(最初はアナグマかと思ったが、タヌキというらしい)も、他の従業員や遊女も親切な奴らだ。みんな俺を捕虜どんと呼ぶのは何とかならないものかと思うが。

 魔物も、それと一緒に暮らす人間も、悪い奴らではなかった。魔物は人間を食料とは見なしていない。彼女たちにとって、人間は生殖の相手として、愛し合う伴侶として必要な存在なのだ。だからこの店の遊女も婚活のため働いている者が多く、遊びに来る男も金を払って身請けしていく奴もいれば、いつまでも馴染みの遊女の部屋に入り浸って居残りをする奴もいる。
 変な娼館だ、と思うが、俺もそんな連中を笑えないだろう。

 仕事が終わった後は相変わらず、つつじの部屋で寝泊まりしていた。彼女にひざまくらされ、耳を舐めてもらい、体の垢を落としてもらう。体の中に溜まった物も舐めとってくれる。毎晩毎晩、至高の快楽と優しさを与えてくれるのだ。
 彼女には感謝している。だが俺にはどうしても、やらねばならないことがあった。

 脱走である。




「おい、捕虜どんはどうした?」
「さっきから見てないけど」
「おいおい。あの人一応捕虜なんだから、誰か見張ってなきゃいけねェよ」
「あ、そういえば捕虜どんは捕虜だったわね」

 能天気なジパング人たちの目を盗み、俺は店から抜け出した。裏口から見張りがいないことを確認し、路地を歩く。初めて『琴月庵』の外へ出たが、周りの建物は古く、崩れている物もある。つつじから聞いた話ではここはルージュ・シティの北地区で、廃墟だった建物をそのまま利用している施設が多いそうだ。そしてジパングの色茶屋のみならず、あらゆる『色』の店が軒を連ねている、とも。
 『琴月庵』の中からだと、外はほとんど見えないようになっている。夢の一時を過ごすための空間なので、俗世間が見えないようになっているらしい。確かに馴染みのないジパング様式の店の中で、夢の中にいるような気分にもなった。加えて普通の娼館とは違い、金はあっても粋でない客は叩き出すのが流儀らしい。

 その夢から抜け出したところで、恐らく現実へ還ることはできないだろう。還ったところで、それは夢から悪夢へと乗り換えるだけだ。
 それでも、脱走した。番頭から雑用の小遣いにもらった銅貨、銀貨をポケットに入れ、アテもなく街へ出る。逃げ切れるとは思っていないし、教団に戻ろうとも思わない。教団では魔物との戦争で行方不明になった者は全員戦死扱いになることを、俺は知っている。そして殉教せず捕虜になった者が帰還したとして、どう扱われるかも。しかし、やらねばならないことだった。

 表通りは比較的静かなようだが、時々艶っぽい声が聞こえる。路地からもだ。魔物が人を食うのはどうやら嘘らしいが、色欲に関する話はある程度事実のようだ。ただし、彼女たちは人間と同じか、ときにはそれ以上の『真心』を持っているという点で、教団の教えは間違っている。つつじが教えてくれた。
 
 目立たないように、しばらく路地を歩いた。ときどき人間と魔物が交わっている現場に遭遇したが、俺は見て見ぬ振りをして通り過ぎたし、向こうもお互いのことしか眼に入らないようだった。この街では自然なことなのだろう。

 やがて薄暗い小道の先に、光が見えた。日は傾き、魔力の街灯に火が灯っている。店の売り声や子供の笑い声、さらには音楽も聞こえてくる。繁華街へ辿り着いたようだ。人混みに紛れ込んでしまえば当分は見つからないだろう。俺は大通りへ足を踏み出した。

「号外、号外! 地底遺跡について新たな発見!」
「おやつにジェラートは如何ですか〜」

 耳に入る、住民たちの声。北地区とは打って変わり、美しく整った建物が並んでいた。道脇には食べ物の屋台が出て、エスクーレ系らしき女性が氷菓などを売っている。行き交う人々は顔ぶれも種族も様々だ。ジャイアントアントが石材を荷車で運び、エルフらしき少女が動物の毛皮を担いで歩いている。道端で靴磨きをやる子供たちも人魔混在だ。
 空を見上げれば、夕日に染まる雲の下をハーピーが飛んでいく。背に
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