ルージュ街の唄えない鳥 after

 仕事を終えた後、俺は大抵バーへ向かう。だが今は早く帰らねばならないときだ。商売道具のギターを背負い、折り詰めにしてもらったシチューを揺らさないよう、家へと急ぐ。人と魔物が共存する都市では、魔力による街灯が普及しており、夜道も明るい。やってきたばかりの移民たちが街灯の明かりをじっと眺めている光景も目にする。かと思えば酔っ払いの歌も聞こえてくる。

「ヤってやる ヤってやる ヤ〜ってやるよ〜 好きなアイツを……」

 へべれけになったグリズリーが千鳥足で、壁だの街灯だのにぶつかりながら歩いている。かなり強くぶつけているようで、いくら魔物でもそのうち包帯だらけになるのではと心配になった。だがすぐに近くの家から旦那らしき男が飛び出し、無事保護したようだ。
 かと思えば、そのずっと後ろから「ヤロォ、ブッコロシテヤァ!」という怒鳴り声が聞こえてきた。今しがた立ち寄った大衆食堂のシェフだ。おそらく食い逃げでもあったのだろう。まあ加勢なんてしなくても、あいつならすぐにとっ捕まえられるはずだ。完全武装の教団兵を麺棒と唐辛子で倒すような料理人なのだから。

 やがて、俺も住んでいるアパートに着く。金は溜まってきたが、住み慣れているこの小さなアパートを離れる気はない。二階の部屋に灯りがついているのを確認すると、外の階段を上っていく。夜風は包帯越しに顔へ吹きつけてくる。焼け爛れて痛みも感じなくなった俺の皮膚は、風の感触を辛うじて知ることができた。これでも昔は美男子と言われていたが、今や素顔をさらして外を出歩けない。
 だが、人生とは分からないものだ。そんな顔になっても、今の方が幸せなのだから。

「リウレナ、今帰ったぞ」

 ドアを開けると、俺の妻が迎えてくれた。嬉しそうな笑みを浮かべ、一抱えほどある球体を翼で抱きながら。おかえり、と口が動いた。本来なら魔性の美声を発するセイレーンの喉だが、それを失った彼女は唇の動きとボディランゲージで意思を伝えるしかない。だが俺とリウレナは言葉がなくても、もはや意思疎通に困らなくなっていた。

 戸を閉めて、彼女が大事に抱える卵にそっと触れる。茶色い斑のある殻はすべすべとした感触で、とても温かい。もうすぐこの殻を破って生まれてくることだろう。俺とリウレナの娘が。
 魔物は出生率が低く、結婚して何十年経っても子供ができないこともある。俺とリウレナはかなり早い方だろう。ハーピー種は鳥の魔物なので卵生であり、先日リウレナは産卵を終え、こうして卵を温めている。優しい笑みを浮かべ、青い羽毛で大切に抱卵する母親の姿はとても美しく、侵し難い神聖さを宿していた。魔物は今でも穢れた存在だと主張する連中も、この光景を見れば間違いに気づくだろう。

「コルバのシチューだ。食べよう」

 土産をテーブルに置くと、リウレナは嬉々として準備を始めた。ベッドの隣に鳥の巣状の籠が置いてあり、そこへ卵をすっぽりとはめる。魔力の宿った布で適度な温度を保ってくれる代物だ。魔物の住む町ではこのような品も多く売られている。
 シェフが缶に二人前入れてくれたシチューはまだ温かい。皿に移すとまろやかな香りが部屋に広がった。多様な薬草に上質な肉、そしてホルスタウロスの母乳で作られたこの一杯のために、遥か遠くから転送魔法でやってくる旅人もいる。薬草によって母乳を出やすくする効果があり、リウレナにも丁度良い。

 リウレナは使い込んだスプーンを手に、人さじすくって口に運ぶ。セイレーンの腕は翼になっているが、その翼の中程が人間でいう掌にあたり、そこに小さな爪がある。羽毛に隠れていて普段見えないが、スプーンで食事をするなどの器用さはあるのだ。
 幸せそうな笑顔を浮かべる彼女を見ながら、俺も温かなシチューを噛みしめる。鴨肉の歯ごたえといい、ホルスタウロス乳によるまろやかで濃厚な味わいといい、絶品だ。これを作ったシェフとはこの町へ移住した頃からの付き合いで、あいつが亡命してきたときの武勇伝は町の語り草となっている。この町は「ワケあり」が集まる場所でもあるのだ。顔を失った俺や、声を失ったリウレナのような……。

「今日は教会で、子供たちにギターを教えてきたよ。アプサラスの子がお前の踊りを見たがってたな」

 食べながら言うと、彼女は唇の動きで答えた。生まれたら、赤ちゃんも連れて教会へ行こう、と。

「そうだな。教会で少し預かってもらえば、近くで演奏もできるしな」

 これが俺たちの会話だ。喉を切られて声を失った彼女だが、それでもセイレーンらしい生き方をしている。歌えなくても音楽を愛する種族の本能が、彼女を『踊り』という新たな道へと導いた。俺がギターを弾けば、曲のリズム全てがリウレナの体へ流れ込む。そして旋律をそのまま形にするかのように、華麗に舞うのだ。
 しかし今はもうす
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