ヴァルキューレなる天使は明らかに俺を狙っていた。行く手を塞ごうとする竜騎兵たちを上下左右へ交わし、きらりと光る物……幅広の剣を抜き放って向かってくる。地球の航空力学とは別の力で飛んでいるのが分かった。白い翼から黄金色の粒子を散し、それが飛行機雲のように尾を引いている。
速い。即座にスロットルを開き、沖へ機首を向けて逃走を図る。
「追いつかれる……!」
伝声管を通じてナナカの声が聞こえた。さすがの彼女も声に不安が滲んでいる。
あいつが教団の手の者なら、俺と零観を鹵獲しようとしているのかもしれない。人間が空を飛ぶための手段だ、欲しいだろう。だが噂通りの連中なら、魔物であるナナカを活かしておかないはずだ。
「大丈夫だ、ナナカ」
俺が戦争へ行っている間、一つだけ自慢できることがあった。後部座席に座った奴を一人も死なせなかったことだ。撃墜されたときも引っ張って泳いで帰還した。だからナナカも死なせない。これから女房にしようって女を不名誉な第一号にするわけにはいかないのだ。
だがヴァルキリーは速かった。こちらは鈍足の水上機だが三百キロ以上は出る。それなのにあいつは見る見る内に追いすがってきた。竜騎兵たちが編隊を組んで攻撃を仕掛けるものの、小回りでは相手の方が上でかわされている。それでも時間稼ぎにはなってくれていたから逃げていられるが、このまま着水体勢に入ろうものなら降りる前にやられてしまう。
機銃が撃てればまだ抵抗のしようもあるが、今は試験飛行だ。後部座席の銃は降ろしたままだし、前方機銃には弾が入っていない。あるのは領主から返してもらったモーゼル自動拳銃だけだ。
それでもあいつの翼をプロペラに巻き込んで道連れにしてやるくらいのことはできる。ナナカを乗せていなければ、だが。
後ろで剣光が一閃し、竜騎兵が乗っている竜もろとも墜落していくのが見えた。そしてヴァルキリーは近くまで……戦闘機が相手を撃墜する距離まで近づいていた。顔も見える。流れるような長い金髪に白い肌。深紅の鎧をを身に纏っていた。手にした剣を高々と振り上げ、その刃に青い光が奔る。
感覚で分かった。あれは墜とすつもりだと。
「舌を噛むなよ!」
伝えた直後、機体を急旋回に入れた。左翼の端が地面を指し、垂直に左へ回る。
その瞬間、すぐ横を閃光が掠めていった。機銃の曳光弾とも稲光とも違う、青い、強烈な閃光だった。ただの光ではないことは、その余波で機体がビリビリ震動していることで分かる。
あれが奴の飛び道具か。喰らおうものならひとたまりもあるまい。
だが後方だけに注意しているわけにはいかなかった。眼下でも異変が起きている。着水地点に定められていた海面が、突如輝き始めたのだ。白い光が円形に広がったかと思うと、轟音と共にそこが黒一色に変わる。まるで海上に穴でも空いたかのように。
いや、本当に穴が空いているのかもしれない。そこに水があるように見えないのだ。
何だあれはと思っているうちに、フィッケル中尉の声が聞こえた。
《飛曹長! 海上の穴に飛び込め!》
とんでもない命令があったもんだ。ドイツ空軍中尉に日本海軍飛曹長への命令権なんてあるのかは別問題として、今は従う他に道はない。何が起こるのか尋ねている暇もないし、このまま座して死を待つよりはいいだろう。
もうどうにでもなれ。機首を目標に合わせつつ急降下に入れた。翼が音を立てて風を切る。スロットルを開いて降下しつつ、一瞬後方を確認する。有り難いことにヴァルキリーの進路を妨げているものがあった。
白いコウモリのような翼、黒い衣。一瞬見ただけだったが、レミィナ姫様だ。さすがに魔王の娘ともなると相当強いのか、対峙するヴァルキリーも俺への追撃を中断していた。女に背中を守られるのは何だが、今はこのまま脱出する他はない。
「掴まってろよ!」
海面に広がる漆黒の穴へと、まっしぐらに降下する。高度計の針がどんどん下がっていく。二〇〇メートル……二五〇……一〇〇……五〇……もう後ろは見ない。仮に攻撃がきたとしても、この高度で降下しながら回避機動はできない。
次の瞬間、機首から闇の中へ突入した。周囲が黒一色に包まれ、一切の音がなくなった。プロペラは回っているのにエンジン音が聞こえない。奇妙な感覚だ。
だがそれも一瞬のことだった。耳に音が戻った途端、周囲が再び明るくなった。零を指していた高度計の針が一気に振れ、一五〇〇メートルを指す。確かに海面へ突っ込んだはずなのに、抜けるような青空の中に放り出されていた。そして眼下には海。
後ろを見ると空中にぽっかりと、あの漆黒の穴が空いており、それがすーっと縮小して消えていく所だった。今俺たちはそこから出てきたようだ。これも何かの魔法なのだろうが、それど
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